大好きな街にはいつもの服を

*唯一のパーカー

2020年初春に京都を訪れた。
その旅は僕にとって非常に困難な旅となった。

何故かというと
普段から
荷物の優先順位をつけるのが下手くそで
余分に持っていってしまう僕が
快適とは言えない夜行バスを使って
京都へ向かうことになったからだ。

せっかくの旅で連れて行きたい子が多すぎる。
僕のポリシーとして、
旅の快適さはもちろん必要なのだが、
それよりもいつもと
変わらないスタンス(その時々の気分最優先)は貫きたいという
めんどくさい性分が邪魔してスタイリングが決まらない。

そこに一枚のパーカーが目に入った。
自宅の椅子に無造作に掛けられたその子は普段から「気の抜けた時に着る子」であって
旅先に連れて行くことはなかった。

そのパーカーは
吊り編み機という1960年代に主流で、
1mを1時間かけて編む非常に丁寧な機械で作られていて着心地の良さはまさに

他所には着ないけど何故か着てしまう部活のジャージみたいな感覚

であった。

しかし、
「非効率でも最高品質な機械」

「古き良き文化を重んじる街」
がフィットしてすぐに連れて行きたくなった。

*京都が大好き

1.古いが大切にされた景観や食べ物
2.そこに住む人たちのマインド


僕は

「古いモノこそ正義」

という懐古主義ではない。

iPhoneもiPadも使うし、
音楽もサブスクを使う。
でも変わらないモノの良さはあると思ってる。

京都を訪れると何故か懐かしいと思ってしまう。
幾度となく脳内旅行を繰り広げたからかもしれないがいい意味で変わってないのだ。
22歳の時、15歳の時、今回を入れて3回目となるのだが妙な懐かしさがある。

京都駅降りてすぐの蝋燭に
東福寺の苔や伏見稲荷の鳥居
精錬された和菓子に甘いイノダコーヒー


どれも変わらないけど
ずっと大切にされてきて
視覚や味覚で僕を魅了してきたモノ。


そこに住む人たちもその大切にしてきた文化を中心に住んでいる。
情報やモノも過多な時代で、効率良くなんでも手っ取り早く済ませることが良しとされている中、夕飯前には物販店は閉まり、薄ら飲食店に光が灯ってる程度で、繁華街を離れると真っ暗になる。

個人的にそのペースがすごい好きで、ちゃんと自分たちのペースを守って

余分なことはしない。
欲張らない。
無理に変えようとしない。


京都からはそんな
「芯の強さ(それが故の頑固さに?)」
を感じる。

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