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『MIZZ鍼灸治療院物語』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が 渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします

◆第2シリーズ 
ザ・インタビュー:MIZZマスターの『ブラックホーク』懐古談
(聞き手:編集人ひめちゃん)


MIZZマスターの妄想1️⃣
1970年頃『ブラックホーク』の前で出番を待つ
デビッド・クロスビー,ジミー・ペイジ,カルロス・サンタナの各氏

第8話 松平さんとの思い出❐その5

《ひめちゃん》『ブラックホーク』のメインストリームをJAZZからROCKへ変えていくことに慎重な立場だった松平さんをどのように説得したんですか?

《MIZZマスター》なんたってレコードの数量からいって,ジャズが約2000枚なのに対してロックがたった5,60枚程度ですから,これではやはり話になりませんよね。そこで,とりあえず営業時間の内の2~3時間程度をロックタイムにしたらどうだろうかと提案しました。
 せこい魂胆丸見えながら,「このロックの流れは止まらないだろう!」という成算があったのも確かで,とにかく少しずつでも良いからお客さんの流れを増やしていこう,と私なりに戦略を練っていたのです。

《ひめちゃん》ロック限定の時間を設定したんですね。それにしても,レコード枚数が少なすぎませんか? それにお客さんたちの反応はどんなものだったのでしょうか?

《MIZZマスター》たしか最初16時から18時をロックタイムとしたんですけど,店内に「ロックタイム4:00~6:00p.m.」と貼り出していただけなのに,どこで聞き込んで来たのか,16時前から,口を真一文字に結んだ全共闘風,新宿から遠征してきたと思しきフーテンさん風,頭に花の髪飾りをつけたストレートロン毛のお嬢さん等々,今まであまり目にすることのなかった風貌の方々が「俺ロック聴きたい」「私アル・クーパーの顔好き」と言ってわんさか詰めかけ,それまでのんびりムードだったウェイトレスさんたちも大忙しで,50席ほどの店内はたちまち相席満員となってしまいました。
 そんな方たちも18時過ぎにジャズタイムに切り替わると,サッとお引きになってしまうんです。こんな日々がおよそ半年ほど続きました。

《ひめちゃん》何とも想像つかない不思議な光景のようですが,世はまさに「ロックの時代」となっていたわけですね。

《MIZZマスター》私は,初日のお客さんの入りで「これはイケるぞ!」と確信しました。「じわじわとロック調を増やしていこう!」と気合も入り始めますが,一方,松平氏はと言うと,普段通り淡々と自分の仕事をさりげなくクールにこなしていました。
 ところがある日のこと,彼が知人を伴ってダンボール箱を抱えて店に戻ってきました。彼にしては珍しくニコニコ顔で,「これミュージックマガジン社が貸し出してくれました」と。多分,例の矢吹さんたちに根回しのうえ,かの名物編集長中村とうよう氏に直談判して借りてきたらしく,『ブラックホーク』のレコードラインナップがある程度揃う2年間ぐらいは借り放しだったような気がします。

《ひめちゃん》さすが松平さん! なかなかやりますね。

《MIZZマスター》松平氏も,この頃になると,気持ちもすっかり切り替わっていたように感じました。ミュージックマガジン社からは100枚程度の貸し出しを受けたのですが,その当時ロックを語るアルバムがあれば,善し悪し抜きでまずはターンテーブルに載せてみようと言うことで,まさに何でもアリの状態でした。

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