エクリチュールと装飾的に、淡い花

■14 

沈黙をわたしと見出したときに、わたしは落ちる

落ちたわたしとあなたは、諍いじみたやり取りを無限に続けている

それは、永遠を求めるただの無限に近い

けれど、だれが、あの永遠にあり続けることなどできるのか


■15 集中線たちの、見知らぬ極性

・極限にアンバランス。究極にバランス(なのか?)

・なにかしらの極性のなかで、言葉は書かれている他になく、その極性を問うことの難しさに、切なさがある

・たとえば、夜にライトアップされた桜の並木。そういったもの

・川辺の、川。ただし、統合失調症的没入(ドゥルーズとして)のそれと、どこか違う集中線が、この世には、手配されている

・ゆえに、川のなかの魚。その背びれを動かす背骨

・刻一刻と、わたしはあなたと対峙しながら、のみ込まれる前に、あなたに教え諭している(あなたもあなたを覚えていく)

・あらゆる境界性が、小さく、細切れになって、そこを跳躍していく、軌道。そういったものが、あなたがわたしに与えてくれるもの

・脊髄が反射して、起動しては折り返す。そういった生誕性(うまれくるもの)

・トポスはない

・ゆえに、装飾性のなかに、エクリチュールは書かれていく(内実さえ)

・境界性を不断に踏み越えながら、境界性と境界性を芸術することになるところのもの(か?)

・芸術についてのエクリチュールだったら、どれほど楽だったろうか

・これは、エクリチュールを素材にした芸術であるから、これなのである(のかい?)

・つまり、これは、なんらかの楽譜であり、エクリチュールを目的としながら、エクリチュール自体を道具にするということなのだらうか(それは安易な説明に過ぎやしなひかい)

・定義を、境界性を、求めている

・だが、それ自体が、定義であり、境界性になることを求められているときに、一体、何を求められるというのだろうか

・線と線。決して、芸術として、線、がテーマなのではないが、線をテーマに置くことで、線"と"線性が生誕していくことを実感する

・"と"性。つまり、助詞のこと。線と線の狭間というより、線"と"線、の、"と"性

・助詞は、音楽性を片方に宿している。言語が言葉になっていくときの、定義しないほうがよいあの自然らしさを宿している


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?