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アートメモ 視覚的力動性

■視覚的力動性

・運転をしていて、際どいカーブを曲がるときのなにかあの体験のクオリア

・絵に表されたときに、視覚的力動性が体感される

・境界性の溶融に近い現象性と、重力の体感。摩擦の恩寵。おそらく、熱に行き着く

・つまり、水平性、垂直性における視覚的力動性は、要素と要素の距離や配置の妙にある

・しかし直進性(手前ー奥)の視覚的力動性は、ひとつは遠近法ではあろうが、それは置くとして、摩擦における恩寵、熱の残痕、である

・よくよく思うのは、垂直性、水平性は、モダンーポストモダンでやられてきたが、直進性ないし直通性は、まだ、遠近法が廃れて以降は見出されていない

・これが、いわゆる、マチエールの極みであり、画面の表面入った凸凹とテカリやマットの質感から生まれる(ゴッホの絵画などで、すでに発現していた。メタ的には「聖家族」などにも/遠近法ならぬ遠近―遠近法)

・法、にもできるし、そのまま、にもできる(そのまま、の場合、パトス的。法にしたらロゴス的。いずれもエートスを目指すことになる)

・熱いエートスと冷たいエートス

・エートスは聖性にいくことになる(だろうか)




おまけ


■個性

・人を神聖たるもの、とみるにあたり、その個々の個々性を担保しているのは、何か、というとき(つまり人間の神聖を担保するものとは)、個性、だろう、と思った

・境界性というシステムではなく、または機能ではなく、個性だろう。個性とは聖性である。なぜならそれ自体が聖域でもある(文明では大方反転してしまい、社会内の神殿などにされるかアジールになったものが聖域と呼ばれてしまう/そこにヌミノーゼの感覚の経路は直接にはない)

・境界性を保とうとすると、存在への努力、がはじまる。虚しいものである。ぼくが、プロフィールにコテコテに社会的効用性の高いものを書くとき、それは境界性でしかなく、個性ではない。仕方なくやってる。防衛やパスポートでしかない(ぼくが得たものであろうと、与えられたものであろうと、プロフィールは、ぼく、ではない)

・個性は芸術家の最大値価値に類するものである

・差別化の作業はある程度必要かもしれない(境界性を他の芸術家と構成していくこと/だが、どこかで、それは不可能に近いと気がつくことになる/必ず被る部分や似る部分がでる)

・個性は、文字通り、差別化の必要も境界性システム自体ともはじめから別様のものである

・常なる、聖なるもの、なのである

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