夢想の海(エッセイ)
最近、定期的に東京に行きます。バスタ新宿についた高速バスを降りれば、ビル。日が沈みかけた街に、目が痛くなるくらいの光が灯ります。そんな景色を見た時当たり前なのですが、ああ都会だなあ、とぼんやりと思います。辺りにはお店や娯楽が溢れていて、どこかで休もうと思ってもその選択肢の多さに目を回し、結果的に関西でも楽しめるドトールの珈琲で一息をつきます。そういえば逆に、ああ田舎だなあ、という思いがわきおこる機会は少ないかもしれません。生まれ育った環境ゆえでしょうか。
故郷、三重県とは大学を卒業してから今日までの、およそ一年で随分疎遠になりました。疎遠になってはいるのですが時々無性に恋しくなるのが実家の近くにある堤防の上から見る伊勢湾です。波は穏やかで、のりの養殖などをしており、遠くにはうっすらと愛知県にあたる陸が見えます。静かな海の上を定期的に、中部国際空港を利用する飛行機が飛んで行きます。堤防は直線が少なく緩やかなカーブの連続で、風を浴びながらゆっくりとジョギングをすることが好きでした。
海といえば好きな歌があります。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり 寺山修司
この少女は内陸の、おそらく田舎と呼べる地域に住んでいるのでしょう。われはそんな少女の前で海の広さを表すように手を広げます。しかし、一人の人間が海の大きさを表しきれるわけもなく、むしろただただ矮小に見えてしまいます。かたや、可能性の塊である少女の瞳に海を幻視することができるかもしれません。
そういえば、海を知るとは何なのでしょうか。京都で暮らし始めて五年目。神戸や和歌山、北陸の方の海を見る機会も何度かありましたが、どこか物足りなさを覚えてしまいます。その度に、あの堤防から見る伊勢湾の海に、自分の中の海のイメージは縛られているのだなあということを実感します。海とはどこまでも続いていて、地球を包み込む広大なものかもしれません。しかし私にとっての海を考えた時に、遠くに陸地という終わりが見えた小さな場所というイメージが真っ先にきます。
最寄りのコンビニまで歩いて二十分程度かかること、それと同じくらいの時間をかけなければたどり着けない本屋には婦人雑誌と漫画しか置いていないこと。近所の人が何かをすればたちまちに噂として広まり続ける怖さ。バスが廃線し、車や自転車がないとどこにも行けないこと。色々と理由をつけては故郷を出て自由になりたがっていました。それでもこうして海のイメージを通して故郷とつながっていることに。あるいは、角度的に出口がないようにも見える海を忘れずにいることに。なんとも言えない気持ちになります。こんなどうしようもないことを考えてしまう私のイメージする海よりも、未知のものを夢想する少女が考える海の方がどこまでも自由で、なんとなくそんな海に対して憧れのようなものを漠然と抱くこともあります。
(未来2018年2月号掲載)
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