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忘れじの1995

1月に阪神淡路大震災を経験した1995年。

とはいえ、揺れすらしなかった東京で暮らす私にとって関西地方の被災はニュースを通して知る、言い方を選ばなければ他人事だった。

そんな3月、今度は自分の身の回りのすぐ近くで凄惨な事件が起こる。

地下鉄サリン

当時はどう表現すればいいか、報道機関さえ決めかねていたんだと、今なら思う。

あれはテロだ。

日本に縁がないと思っていたテロが、住み慣れたエリアのすぐ隣の、いつも使っている地下鉄で起きた。

身近な人に被害はなかったが、折しも高校卒業の年。

受験のために、事件のあった路線の事件が起きた区間に前日の同じような時間に乗っていたという級友はいた。

あれから時は経ち、日本は同胞からテロリストを生まずに済む社会を築けているだろうか?

むしろますます苦しい世の中になったと感じるのはおかしいのか?

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