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綴る(2)

(2)といいつつ、番外編。っぽい。
大学には自主推薦で合格した。その4ヶ月前まで芸術系の大学を志望していた自身にとって、我ながらたまげた。
高2の終わりで熱中していたジュニアオケを退団し、高3の6月にN響の海を聴くためのNHKホールの道中で慶應受験を決めた。残り5ヶ月、無謀だとも思ったけれど、謎の自信があった。
そういえば世界史を使わないのにひたすら世界史の勉強を頑張ったし、たしか受験前日も世界史の専門塾で授業を受けていた気がする。この世界史の勉強が小論文においても、大学に入ってからのレポートを書くにあたっても非常に役に立ったし、何よりモノを考える力と生きる知恵を授けてくれた。

さて、その後高校を卒業するまでは青山にあるドイツ語の語学学校に通ったり、片道2時間かけてチェロのレッスンに通ったり。毎日がひたすら楽しかったが、大した悩みもなかったからなのか。
残念ながらこの時期の記憶ほとんど記憶にない。

大学に入学してから半年くらいは無我夢中でワグネルに打ち込んで、初めての乗り番のロミオとジュリエットに至っては授業をサボって毎日6,7時間さらったっけ。こんな猪突猛進、バカ真面目な1年生を先輩方はあたたかく仲間に入れてくれた。私はチェロパートへの忠誠を誓って全身全霊で尽くしまくった。

なんというか「こう弾きたい」「チェロはこうあるべき」の理想がガッチリあったから、自身の発する騒音を聴いた時に毎度絶望したし、理想に近づけるために、あまり頭を使わずにひたすら練習した。その甲斐もあってか、中期は全乗りだった。この時の喜びは受験合格と同じくらいだった気がする。

世界のすべてが輝いて見えた

ここからは2,3月頃まではひたすらチェロの練習に明け暮れる、若さと情熱に満ち満ちた時代だった。
この時期にはもうひとつ、自身の人生において大きな出来事というか心境の変化があったが、そのことについてはここでは言及しない。

この頃からどんどん身体が軽くなっていった。
毎日快調だし、ジーンズも履けるようになったし、自分に自信が持てるようになって嬉しかった。

2月の演奏旅行は京都と福岡とで10泊11日だったかな。非常に長かった。福岡のホテルで朝のニュースを見て、じわじわクルーズ船にのってコロナがやってきて日本に上陸したことを知った。
博多の街を思い出すと、なんとなく鬱々とした心持ちになるのはそのせいなのか。この頃から栄養不足と社会不安とが自身の心身を蝕んで、暗雲が立ち込めていっていたんだろうな。
コロナのせいで、2年生の4月から開始予定だった自由が丘での一人暮らし生活が頓挫した。
これも悲しかった。

緊急事態宣言前、最後の友人との外食

4月からはひたすら虚無だった。
人にも会えないし、大好きな4年生の先輩方も卒業しちゃったし...楽しみにしていたドボ7のパート譜をずっとさらっていたけど、どうしようもなく虚無だったし、「いつか外に出られるようになったら食べたいもの」や「いつか友達と出かけられるようになったら着たい服」ばかりが増えていって、自分がどうなりたいのかわからなくなった。

嫌いだった野菜を沢山食べることで自分は変われるんだ!
ってことを証明したかった。

院進を志していたので、とにかく勉強しようと思いオンライン授業が終わってからもずっと復習したり、読書したり...この頃から病気を自覚したかな。

哲学や美学のせいにするわけではないけれど、こうした学問を学んで、数字や概念など形なきものの世界の美しさへの憧れが、自然や身体など形あるもの、偶然だったり不均一だったり非対称だったりするそれらを醜いものだとし、
「感覚」を排除、「精神」と「身体」とを切り離した。
だから、食べて寝て起きて...のしなやかな自然の人間の営みのひとつひとつを捉え直さなきゃいけなくなった。おまけに、とにかく栄養が不足しているから認知・判断・行動の全てが鈍っていたから、どんどん食べ物も受け容れられなくなった。
(続く)

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