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綴る(序)

16年間の学生生活を終えるにあたって
切っても切り離せない縁があり、思い入れのある「本郷」を中心とする街を軸に、自身の学生時代を綴る。

秋葉原、御茶ノ水、神保町、神田、湯島、上野、谷中、本駒込、春日、飯田橋、そして本郷。
自身の心を浄化してくれて、知恵と力をくれる街。それらの風景には幼少期からの記憶が多く散りばめられている。

物心ついた頃には秋葉原(浅草橋)によくいた。
柳北公園、三井記念病院、シモジマ(文房具問屋)...高校卒業までは日曜日のお昼は浅草橋の定食屋で祖父と母とトンカツ定食を食べていた気がする。

小学校3年の頃、中学受験塾の御茶ノ水校舎に通い始めた。夏期講習が終わった後は末広町にある昌平小学校の図書館でアサリちゃんを読み漁った。たまに、塾の後にカフェでチョコベーグル(クリームチーズトッピング)を買ってくれるのが嬉しかった。

小5の終わりから、春日にある塾に通い始めた。小学校が終わって帰宅すると同時にランドセルを投げて嬉々として向かった場所は公園でなく「啓明舎」(現在は啓明館)だった。
ここで机を並べた友人とは今も付き合いがある、楽しかった中学受験期の記憶。塾には1番乗り。
漢字テストと国語の成績は我ながらずば抜けて良かったのに、理科が悲惨だったのでいつも点数は小声で申告していた。
スギ薬局に北海道型の刻印がある蒸しパンをよく購入していたような...大江戸線のエスカレーターの隙間に点数の悪かった模試の成績表を落としてしまったことがあったな。
友人とは、エスカレーターを逆走して駅員さんに怒られたり、夜中なのに新御徒町から一駅分徒競走をしたりして親に怒られた記憶もある。

中高は高円寺にある女子校に通った。
けれど、「スタバでしか勉強しない主義*」を掲げ家で一切の勉強をしなかった私は、定期券内の御茶ノ水の村田ビルのスタバに毎日長時間引きこもって部活の後もオケの前も勉強した。
村田ビルがいっぱいだった時は医科歯科大の中、秋葉原のアトレ、東大赤門前、飯田橋のサクラテラス...冒険しまくっては勉強場所を確保して時間を溶かしていった。大学受験直前期は西新宿と押上に篭りきりだったけれど笑
(*途中からお財布事情によりエクセルシオール、ドトール、ベローチェも可になった)

高校1年生からは本郷にある塾に通った。
カビ臭くて、じめじめしていて、狭くて、汚くて。
最悪だった。中学受験塾から中高の部活まで一緒だった友人と通い始めたのに、友人は辞めた。
以降、友達を作る気がなかったが、友達ができてからは休み時間に海鮮丼を食べたりラーメンを食べたり...いくらか楽しくなった。しかし、東大または医歯薬志望ばかりの環境に耐えきれず、何度も授業を抜け出しては赤門前のスタバで自習した。
高校生の身分でスタバに毎日通うなんて、身の丈に合わない生活をしていた。スタバ代を捻出すべく、帰りは本郷から順天堂病院を経由して定期圏内の御茶ノ水駅まで夜道を徒歩で帰った。しかし、モーツァルトを聴きながら、思索に耽ってこのルートを散歩する時間も、村田ビルのスタバで勉強した後に丸善で立ち読みをする時間も、非常に大切な時間だったと思う。

親の職場の関係で高校の頃から大学卒業に至るまで何度も本郷でランチをした。
高1の頃から通っていた野菜ジュース専門店は
以降7年間、自身の健康面において非常にお世話になった。
東大正門前にある「食堂 もり川」にも、東大生ではないが足繁く通ったし、非常に思い入れがある。これはのちにすこし語る。
大学受験の出願書類を本郷郵便局に出しに行った日が昨日のことのようだ。

待ちぼうけの用が済んだので、今日はこの辺にしておく。
推敲せずに書き連ねているので、いつか体裁を整えて再投稿するかもしれないが一旦ここまで。

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