練馬

生まれ育った大泉学園の街は今となっては「ジャパニーズアニメ―ション発祥の街」(東映がある影響で)としてある程度の認知度があるが、自分が小さな頃はまだまだ「23区の端っこの田舎っぽい街」という印象で、実際畑や雑木林も多く、家の近くにはちょっとした原っぱも沢山あった。

特に東映撮影所の周りは緑が多く、雑木林の中に「地獄谷」と呼ばれていた湧き水の溜め池もあったので、その付近で遊ぶことはちょっとした冒険だった。

ザリガニや小魚を網ですくったり、原っぱでカナヘビを捕まえたりするのが本当に楽しかった。

隣町には石神井公園があったので、そちらにもいっぱい行った。今は園内どこも釣り禁止になってしまったけれど、当時ボート池には釣りをするおじいさんや少年であふれていて自分も父や同級生たちと数えきれないくらい釣りに行った。鯉やフナ、時にはナマズも釣れたりした。今でも残っている三宝寺池の売店で駄菓子を買ってチェリオで流し込んで、僅かな小遣いでアーケードゲーム(よくやったのはスパルタンX)をやって帰るのが定番だった。石神井公園からの帰りはいつも泥まみれで良く母親を困らせた。

80年代はプラモデルのブームもあったので、模型店にもよく行った。通っていた小学校の真向かいにある「イズミ模型(教材)店」には店主のおじさんに「また来たのかい?」とあきれられるくらい通い詰めた(ちなみに35歳くらいの頃、この模型店に20数年ぶりに行ったところ、店主がまだ健在で自分のことを覚えており「君、ひさしぶりだねえ」と話しかけてきたのにはかなり驚かされた)。

ラジコンのレース場が野外にあり、店内は今にも崩れそうなくらいの模型が所狭しと天井まで積み上げられていた「田中模型店」や、少しマニアなものまでバッチリ常時ストックされている石神井の「大成堂」(ここのプラモデルコンテストには毎年参加していた)にもよく行った。小学校高学年になってすっかりロック少年になるまでは、自分の日常はすべてプラモデルに捧げていたといっていい。

兄が中学生になると、本格的に町田家では「ロックバンド熱」が高くなり、兄も自分も日常会話が好きなバンドの話ばかりになった。近所のお姉さんや知り合いの兄弟などがバンドを始めたりして、練馬の片隅にも世間のバンドブームの波が確実に広がっていた。石神井公園にあった練習スタジオ「ココナッツ」はバンドを結成した特別な者たちだけが出入りできる「聖域」となり、憧れの場所になった。

ご近所さんの、音楽家を父に持つ幼馴染のMくんや、情報通な兄のクラスメイトのWくんなどの影響で日々ロックバンドに詳しくなっていき、自分は当時の小学生としてはかなりの知識量だったと思う。

音楽雑誌なども、近所の子供たちのコミュニティで貸し借りがされていて、良く町田家にも「パチパチ」や「バンドやろうぜ」が回ってきて、その都度穴が開くくらい熟読した。

まだどこか東京の田舎町ぽかった練馬は大泉学園の片隅で、確実にロックの芽はちゃくちゃくと育っていたのだった。


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