1978

1978年12月25日に自分は生まれた。
クリスマスに生まれるなんて、中々ロマンチックに感じるが、今まで生きてきてその恩恵を受けた事はない。
埼玉病院という病院で生まれたそうだが、兄はキリスト系の聖母病院で生まれたので、母は良く「あなたを聖母病院で産めば良かった。そうしたらきっと病院全体が祝福モードだったのに。埼玉病院では年の瀬に近かったせいか看護婦さんみんなバタバタしていて冷たい感じだったわ」と言っていた。
その後の人生でずっと付き纏う「持っていない感」は生まれた時からあったのだろう。


町田家は裕福でも貧しくもない典型的な中流家庭だったと思う。町田家の敷地内には狭いながらも祖父祖母の住む母家と自分の家族が住む小さな2階建ての2軒の家が建っていて、庭には沢山の樹木があった。
シンボルツリーでもあった柿の木には良く登った。紫陽花の木にはカタツムリが、金柑の木にはアゲハ蝶の幼虫が毎年必ず現れて、それを観察するのが好きだった。

近所には同い年の幼馴染が何人かいて、割とみんな裕福な家庭だった。
兄と兄の幼馴染たちは割と活発な性格な子供が多く、走り回ったりちょっとした悪戯をしたりして遊んでいたが、自分の周りには不思議とインドアな子供が多く、家で絵を描いたりゲームをしたり、映画のビデオを観たりする事の方が多かった。
所謂「オタク」な子供が多かった。
結局、そういった子供時代をいまでもずっと引きずっている感じはある。
自分という人間を形成するとても大事な幼少期だったと思う。

不思議な事に、四十近くになってから同世代にミュージシャンが多い事がわかり、興味深かった。
インドア嗜好はもしかしたら時代性もあったのかもしれない。
思えば、自分が幼少期を過ごした80年代は子供向けのホビーが実に充実した時代だった。
おもちゃもゲームもアニメもとにかくなんでも充実していた。
世代全体が「オタク化」していたとしても何も不思議じゃない。
さらにバンドブームがあったのも大きい。
あれは当時の子供達には衝撃のムーブメントだった。
自分もそれまで大好きだったプラモデルや釣り道具を捨て、一番の憧れはエレキギターになった。
自分のような少年少女は多かったのではないかと推測する。

1978年という年は、海外ではパンクロックやニューウェーブやディスコミュージックが席巻していた時代だ。

自分が生まれた年の作品だということでTHE CLASHの「動乱」、エルヴィスコステロの「THIS YEAR'S MODEL」、トムロビンソンバンドの「POWER IN THE DARKNESS」の3枚には特別な思い入れがある。

練馬の片隅で少年がひっそり誕生した頃、遠くイギリスでは激しくロックンロールが渦巻いていたのだ。

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