自分の性格①

自分の性格をシンプルに言い表わすのであれば、とにかく人見知りで引っ込み思案でめんどくさがり屋だという事に尽きるだろう。

性格には育った環境が大きく影響すると思われるが、自分の記憶の限り、幼児の頃からずっとこの性格だった。

近所の子供達と遊んでいても、ただみんなの後ろをついて回っているだけの事が多く、自ら主導権を握って遊ぶなんて事は一切なかったと記憶している。

幼稚園が嫌で年少の時は行ってもずっと泣いていた。今でも暗い園の一室から外でみんなが遊んでいるのを1人寂しく泣きながら眺めていたのを鮮明に覚えている。

何がそんなに嫌だったのかというと、見知らぬ人たちと突如一緒にされる事がとにかく嫌だったのである。

自分にとって見知らぬ人は恐怖でしかなかった。それが同じ歳ほどの子供でも、優しそうな先生たちでも関係なかった。

見知らぬ人と接する以上は、必ず何かしら自己を伝える必要性が出てくる。自分の意思を伝えなくてはいけない瞬間が出てくる。
それが人見知りで引っ込み思案の性格の人間にはとにかくしんどいのだ。

この性格は結局改善される事なく現在にいたる。

未だにライブとかで初めて一緒するバンドやシンガーの方達と接する時は緊張する。
リハーサルの演奏を観て、「この人はとても良いな」と思って興味が湧いても、結局その人とは最後まで挨拶以外一切会話をしないまま1日が終わってしまう事なんてザラだ。

もっと仲良くなりたかった人は沢山いる。
でも、こればっかしは仕方がないともう割り切っている。

要するに、ずっと自分に自信がないんだと思う。

自信がない人間がステージに立つなんて本来変な話である。
ましてや自分はロックをやっているのだから、「みんな俺を見ろ!俺サイコー!」くらいのメンタルではなくてはいけないはずだ。
ごくたまに調子の良い時はそういう気分になったりもするが、ライブ前は98%くらいの確率で「こんな奴がステージ立っていいのかよ」と半信半疑な気持ちになっている。
とは言え、一度歌い出してしまうとスイッチが入って、そんな気持ちは吹っ飛んでしまうのだけれども。

長らく歌って来て、色んなミュージシャンを見て来たが、ステージで変貌するタイプの人は大抵ステージ以外では柔らかな、腰の低い弱々しいイメージの人が多かったように思う。

自信がない事の裏返しがもしかしたらステージの爆発力にも繋がるのかもしれない。

今まで一番その落差に驚かされたのはキングブラザーズのマーヤくんだ。

ステージでは「まさに狂犬」に相応しい暴れっぷりで、初めて共演でライブを観た時は「絶対この人とは一言も口を聞けないだろうな…」と恐れ慄いたが、楽屋にいるときの彼はまるで別人なくらいもの静かで優しい人柄で、一発で大好きになってしまった。
一時期キングブラザーズとはライブで共演する機会が多く、その度にマーヤくんのステージでの変貌ぶりには度肝を抜かれた。
花を愛でる優しい少年に、突然死神が乗り移ったような、そんな変貌ぶりだった。
そんなマーヤくんの姿は極めて痛快で「ロック」そのものだった。
今でも彼は僕にとってのロックンロールヒーローの1人だ。



自分もやはりどちらかというと変貌タイプなのかもしれない。
こんな性格について、幼少期から少なからずや日々ずっと悩んできた。コンプレックスだった。
自分以外のみんなは仲良く和気藹々と楽しそうに生きてるように見える。それが辛い。悔しい。羨ましい。

「仲間」とか「友情」とか「絆」だとか、これらの言葉が反吐が出るくらい嫌いなのも、結局はコンプレックスの裏返しだろう。
ようやく、そういう事を自分で認められるようになって来た。

こういった心の中に沈殿して蓄積されてきたものが、自分が歌うエナジーの一つになっている事は間違いない。そしてそのエナジーは恐らく一生涯尽きる事はない。


そのエナジーが人生の節々でよくない方向に向かい、それが自分の人生に大きな影を落とす事もあった。
端的にいうと、悪いことも沢山した。


しかし、歳とともにようやく自分の持って生まれた性格とちゃんと向き合えるようになって来たと感じる。


この性格は変えられない。
だからといって、人生を良いものに出来るか出来ないかは全く関係ない事だと今は思う。

大切な事は、自分の内面、自分の心にしっかりと向き合う事なのだ。

自分がこの性格に生まれたのは恐らく意味があって、そしてその中にこの人生を幸せに生きるカギが隠されているんだと思う。

まだ人生先は長い。
いつか心から自分を愛おしいと思ってみたいものだ。

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