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祖母と僕(PIXTA#28)

登場人物
祖母

 201x年3月某日、僕は祖母のいる家へ、タブレットを鞄に入れ祖母に会いに行った、雪解けと共に春の訪れを表すかのような雀が鳴いている道を走り抜け、祖母の家のドアを開けた。祖母の家は古い家なので玄関の引き戸は建付けが甘くなり、軽く引いただけでシャーっとスライドするスピード感満載の引き戸だ。

 その時、祖母は台所で昼の料理を作っている最中だった。そんな祖母に声を掛け、祖母の手を止めてテーブルに引き寄せ、慌てふためく様にタブレットを開いた。

 祖母ちゃん、僕ねストック素材クリエイターとして登録している会社で、去年全素材定額販売回数TOP100って奴に入ったんだよ!
そう言って祖母の目の前でそのサイトを少し嬉し顔で見せた。

 祖母は目を細めて画面を至近距離で見つめながら、こう言った。
祖母
 おやおや、あらまぁ、そうなのね、あ、ホントだ、ふぅ~ん、あぁこれがあんたの描いたイラスト(絵)って奴なんかい?
 うん、そうだよ!初めてこのサイトで僕の名前が表記されたんだよ!
祖母 ふぅぅ~ん…それはあんたにとって凄い事なのかい?
 え!?だって沢山いるクリエイターさんの中での年間ランキングで100位内に入ったんだし。

祖母 ぅぅん…あたしには良く分からないけどね…
 何だよ祖母ちゃん、もっと嬉しそうな顔するとか、驚いたりしてよ!
 そんな祖母は若かりし頃、小さな町のデパートで生徒を集め、日本人形(市松人形・雛人形)の作り手としての先生をしていた人だった。

 僕はきっと祖母ちゃんのDNA曳いているんだろうね!
祖母 あはははは、アンタ…本気でそう思っているの⁉アンタなんて足元にも及ばないわ。
 何だよ、チェッ祖母ちゃんにはこのイラストの凄さや苦労が分からないんだよ!何か祖母ちゃんにわざわざ見せに来て損したよ。

祖母 馬鹿垂れ!凄さや苦労なんてもんはさ、一々人に見せつける物じゃないんだよ。
 そうだけどさ…初めての事でチョッと嬉しかったからさ、誰かに伝えたいと思ってさ…モノづくりに精通している祖母ちゃんなら少しは分かってくれると思ってた、それなのに…。

 祖母は、お茶を注ぎズルズルと啜りながら僕にこう放った
祖母 アンタが良いんなら、それで良いんじゃないの⁉
 ぇえ!何だよ、何か素っ気ないって言うか、はぁ~…連れないなぁ。
そんな祖母は何も返事なく、何にもない窓の外の空を眺めていた。

 ねぇ祖母ちゃんはね、どうして若かりし頃に日本人形の先生やってたの?
祖母 何だい急に、あぁ…それはね、元々趣味で人形さん作るのが好きでさ、ある時一つのお人形さんを作って友達にプレゼントしたのよ。するとね、「ありがとう」と言って嬉しそうに受け取ってくれたのよ。

 うん、何かいい話だね。
祖母 それが色々口コミで少しずつ広がってさ、町のデパートの人形屋さんから声が掛かったのよ、「もし良かったらウチで先生やってみませんか⁉」って。それが切っ掛けなのかな。
 あ、そうだったんだ!凄いね、素敵!

祖母 何にも凄い事なんか無いよ、ただその当時(昭和)お人形さん作るのが流行りみたいなもんもあったからかな。アンタも小さい頃見た事あるでしょあの茶の間に飾っていた連獅子のお人形さん達。
 うんうん、小さい頃黒枠のガラスケースに飾られて茶の間に飾られていたよね。うん凄い迫力で立派だったの覚えているよ!

祖母 そうそうアレね。
 今、あのお人形さん達はどこにあるの?
祖母 押し入れの何処かにしまってあると思うけどさ、
そして、そんな祖母は僕にこう問いを立ててきた。

祖母 所でアンタね、この絵をどういうつもりで描いたの?
 !!!どういうつもり?…えーっ、んー…こんな僕でも誰かの為に役立てたら、売れたらって感じかな⁉…。
祖母 その割には何か味気ないよね…

 味気ない⁉、え、だって沢山売れてくれたよ、そこに味気なんているの?だって商品ってさ、売れるか・売れないかの二択でしょ⁉
祖母 まぁそうなんだけどさ…ただアンタの描いたこの絵は、なんて言うんだろうね…小手先の技術だけで作ったって感じしか伝わって来ないんだよね。それよりもコッチの花の絵の方が素敵じゃない。

 …う…ん、まぁそう言われれば、そうかもしれないけど…でもその小手先の技術の商品に沢山の人達が手を伸ばしてくれた絵だよ。
祖母 ならアンタにひとつ聞くよ、もしアンタが逆の立場だったらこの絵に手を伸ばすかい?。
 !!!う~ん、一応唾は付ける物の、他に良い絵があったらソッチに目移りするかもね…。

祖母 ホラ、アンタの描いた絵なんて所詮そんな程度なんよ。
 えぇ!?それってどう言う意味?
祖母 アンタ自身が心から欲しいと思わない物を、他の人達が心から欲しいと思えるかい?この絵とやらを買いに来る人達はお金を持って買いにくるんでしょ?。

 そうだけど、でもそれは結果として数字として表れているからさ、結果オーライで良いんじゃないの⁉。なら逆に聞くけど、僕のこの絵に足りない物って何なの?

そこで祖母は深い深呼吸の後、溜息交じりで吐き出した。
祖母
 それはね、「形あるようで形のないもの」だと思うよ。
 は⁉ナニソレ?形あるものとしてこの絵(素材)がある訳じゃん⁉
祖母 まぁそう言っちゃそうなんだろうけどさ…。

祖母 アンタは結局ね、機械的なこの数字に小躍りして、ただ自己満足しているだけの人間なのよ。
 は!?
祖母 だってアンタの代わりなんて幾らでもいるんでしょうに。
 小躍りって…なんっ…まぁ、その言葉否めないけどね…。
祖母 数字や他人の評価なんて言う表面的な事はどうだって良いのよ、それは一つの指針にしか過ぎない表れであってさ。ならその数字や評価の先には一体何があるんだい?

 そんな祖母の問い立てに、明確な言葉が見つからず、眉間にシワを寄せるのが精いっぱいだった。そうして気が付くと時計の針は夕方に差し掛かっていた。一体僕は今日ココに、祖母の前に何しに来たんだろう…。

 祖母ちゃん、僕そろそろ帰るよ!今日は話聞いてくれてありがとうね。
祖母 うん、また何時でもおいでよ。
ありがとう!そう告げて僕は帰り支度をして靴を履き、祖母の家のドアを静かに閉めて家路に向かった。

 そんな夕日が落ちる帰り道、祖母との話をリプレイするかのように僕の脳内は祖母との会話がエンドレスに脳裏を交錯。「形あるようで形のないもの」結果至上主義の僕にとってその言葉は不可解とも言える理解しがたい意味深な言葉として脳内に居座り続けた。

 それから少し時は流れ、祖母の言葉で言う、その素材を開き改めて見直してみた。この絵に足りない物…でもソコソコ満たしているからこそ沢山売れてくれた訳だし…それでも足りない物って…何だろう?。
そんなこんなが脳内を希釈されながらも祖母の言葉により、継ぎ足されながら周回知らずのエンドレス。

 それから数か月後、それまで元気だった祖母の容態が急変した。その知らせを姉から知らされた僕は、すぐさま祖母が入院している病院に向かった。家族以外面会謝絶のドアを開け、人工呼吸器や色々な機械やチューブに繫がれていて、見るも無残な姿だった。そんな意識朦朧な祖母は僕の存在に何とか気づいてくれたものの、僕は即座に祖母の手を握り締めた。

 そんな折、無機質な血圧計のパルス音だけが鳴る中で、きっと苦しいはずの祖母が僕の手を握り返し、微かな声で僕に声を掛けてくれた。

祖母 僕に、人の心の気持ちの分かる人間になるんだよ…。
 祖母はその言葉を残して静かに眠り、そうして僕と姉の交代で祖母に付きっきりで数日を迎えた。

 三度の食事は喉を通して取れない為、一日に何度も点滴を通してそこから栄養を取っていた。そんな日が何日も続いて、僕も姉も幾ばくかの疲労感を隠し切れずにいる中、昨日まで微かに温かかった祖母の手は翌朝ひっそりと冷たくなっていて静かに息を引き取った。それを医療スタッフに告げ、医師や看護師が坦々と、死亡確認や他の処理を進めながら…。

 享年98歳での永眠だった。ついこないだまで元気そうだったのに…たった数日で、その様は身体に傷は無い物の、呆気ない姿だった。僕は祖母の変わり果てた姿に何度も届くハズない声を小さく連呼した。

 そうして医者や葬儀屋の手により、葬儀の段取りが始まった。色々な手続きを得て数日後、葬儀は身内や親近者だけでしめやかに密葬と言う形で行われた。僕は人より感受性が鈍い生き物なのか、通夜や告別式では何故か涙に誘われなかった。

 ただそれから暫くは、喪失感が僕の全身を包み込んでいたせいか、自宅の部屋の中で抜け殻の様な日々を過ごしていた。それから約1か月後くらいになると、ひにちぐすりの効果も現れ、生前祖母が言っていた形あるようで形のないものの言葉を軸に少しずつ探し始めた。

 そうしながら僕は他の素材作りと並行しながら、祖母が出した超難関問題に解答すべく、描いては消し、描いては消しの繰り返しと言った出せない回答を日々続けた。以前の記述でのヒットメーカーの時よりもはるかに時間を掛け丁寧に向き合い考え抜いた。

 それが人並みかどうかは分からないが自分なりに探し、そうしてこじらせながら約数か月、祖母への思いがチラつくも、もう1人の僕が立ち上がり、ガムシャラ?に没頭しながら苦しんだ。

 そうして僕なりに導き出したメソッドに基づき、祖母が言っていた、形ある様で形ないものを、自分なりにその素材に詰め込んで作った。半分は購入者に向けて、残りの半分は祖母が出した問題への回答の意味も込めて。

 それが正解か不正解かなんてどうでも良い、そうこうして悪戯に時計は急ぐ中、僕はその素材を並行して作っていたい素材と同時に投下した。売れなくても良いと言ったら嘘になるが、購入者が他の素材に目を逸らしたならばそれでも良いと思い、結果や数字は気にせずにと投下した素材だった。

 それから数ヶ月後、僕に奇跡!?が起きた。その奇跡に驚きと戸惑いを隠しきれず、でも誰に伝える事なく、僕は1人きり冷静に考えぬいた。

 この結果が祖母の出した問題の正解か不正解は分からないまま、ただもう二度と無いだろう最初で最後とも言える結果を、僕は祖母に伝えたくて仕方がなかった。でも、もうその答えを伝える術は無い。

 そんなある日、僕は祖母の大好きだった味甘堂の、さくらどら焼きを片手に祖母の家へと向かった。納骨された仏壇を目の前に、静かにさくらどら焼きを添えて線香をあげた。

 その時ようやく、僕の中での感受性が爆発し、涙と共に嗚咽が止まらなかった。それまで人の気持ちを考えずに、クールに結果や数字だけを追いかけていた自分が少し侘しく思えてしまい、今となってはそんな祖母ちゃんに声も掛ける事が出来ずにいる自分。

落とした涙と引き換えに禊ぐのが精いっぱいだった。

 そうこうして祖母の家をウロウロしていると、押し入れから青いクーラーボックスが幾つか見つかった。僕はそのクーラーボックスを引き出し開けてみた、そこには、あの幼少期の頃僕が見た日本人形がそこにあった。保管状態も綺麗だった為、カビや湿気による腐食も無い、あの頃のそのままの人形だった。

連獅子

 生前、若かりし頃祖母が作った日本人形です。タイトルは「連獅子」と言うタイトルで、写真ではチョッと伝わりにくいかもしれないけれども、肉眼で見る分にはとても勇ましく煌びやかに神々しく、その雰囲気は圧巻だ。ただ、チョット写真が下手っぴだったね、ゴメンね。

 そしてその中に祖母の手縫いによるポシェットみたいのがあって、中を覗くと、祖母が若かりし頃、人形の先生をしていた生徒と一緒の記念写真があった。その生徒の数は100人は優に超えていた写真だった…。

 それと後1つだけ仏壇の祖母にお願いをした。もう二度とないであろうこの記録をアーカイブとして、ここに印として残させて。
 もしもこの印を向こうで祖母が見たとしたら、何て答えるんだろう?決して甘い言葉は掛けてくれないだろうね…。でも僕はそれでも良いと思っている。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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