民衆の敵
12月1日 シアターコクーンにて
作 ヘンリック ・イプセン
演出 ジョナサン ・マンビィ
STORY
温泉の発見に沸くノルウェー南部の港町。医師のトマス・ストックマン(堤真一)はその水質が汚染されている事実を突き止める。主な原因は妻カトリーネ(安蘭けい)の養父モルテン・ヒール(外山誠二)が経営する工場からの廃液にあるようだ。トマスは廃液が温泉に混ざらぬよう、兄で市長のペテル(段田安則)に進言するが、ペテルは汚染の事実を隠蔽するようトマスに促す。事態を知った新聞「民衆の声」の編集長ホブスタ(谷原章介)と記者(赤楚衛二)、新聞印刷所を経営するアスラクセン(大鷹明良)はトマスの味方となって新聞で真実を明らかにしようとするが、配管交換工事の莫大な費用が市民の税金から賄われると知ったとたん態度を翻す。孤立無援となったトマスを擁護するのは、教師をしている長女ペトラ(大西礼芳)と妻カトリーネ、トマス家の古くからの友人であるホルステル船長(木場勝己)くらいしかいない。トマスは町の人々に真実を伝えるべく、集会を開くのだが・・・。
(パンフレットより引用)
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堤真一演じるトマスは医師であり、3人の子供の父親でもある。
そして、トマスの兄は市長をしている。町に温泉が湧いたことによって観光客が来るようになり町はその恩恵を受けている。温泉によって観光客を呼び込むアイデアをトマスが提案し、それを実現するべく尽力したのが市長である兄のペテルである。市長である兄は、やはり兄らしく市長らしく真面目でなかなか堅い人物だ。トマスが温泉の水質調査を依頼した結果が届き、実は水質が汚染されていたことが判明する。(ここで疑問に思ったのが、温泉湧いた時点で調べなかったのか、と言うことだが工場からの汚水が原因であるとしたら温泉が湧いた時点ではわからなかったのかもしれぬ。)
トマスはすぐに兄に水質汚染のことを知らせてこの事実を公表するべきだと主張する。ここから物語が始まって行くのだが、トマスとペテル兄弟の会話からこの問題が一筋縄ではいかないことが少しずつ浮かび上がってくる。
水質が汚染されていることを公表した場合、観光客が来なくなり町にもたらされていた恩恵が受けられなくなる。この温泉が湧いたことで生まれた雇用にも影響が及び町の人々が仕事を失うことにもつながるだろう。そして、その水質を改善するためには長期的な工事が必要でそれにともなって莫大な費用がかかる。そしてその莫大な費用を負担するのは町に住む人々である。
ところが、水質は見た目には汚染されているかどうかわからない。
ここで、市長である兄と医師である弟の意見が対立する。
トマスは「正しいこと」を優先しようとするが、それによって「被害」を被るひとたちがたくさんいる。でも、水質汚染を隠し通していることは多くのひとを騙すことになる。トマスには全く迷いが無く、事実を公表すべきだと主張する。私はここで少し疑問に思ったのだが、トマスにもう少し苦悩があっても良いのではなかろうか。彼には全く迷いがなくまっすぐすぎるくらいにまっすぐで、実はこのトマスに私は違和感を感じた。そういうところが彼の彼たる所以なのかもしれないが、あるいは組織に属していない人間の思考なのだろうか、とも考えた。組織とは、ある部分では個を亡くすところだと思っている。組織では個人の意見は大抵の場合簡単には通らない。トマスには全くと言ってよいほど迷いがなかった。
なので、トマスの言動や行動を見ていると、ふと、正しいことがすべてにおいて優先しなければいけないことなのだろうか?という疑問が湧いてくる。水質汚染を隠すことは確かにいけないことだ。しかし、その正義を通した場合に自分がその費用を負担することになったら、私はその「正義」を支持することが出来るだろうか。
トマスは悪い人間ではない。むしろ正義感に溢れた医師としての使命を全うしようとしている良い人間だ。けれども、その正義感を通したがために町の人達から非難されて、結局町を追われてしまう。いや、町どころか国から逃げようとしていた。あの後、トマス一家は相当な苦労を強いられるのではないか、まだ小さい子供たちを思うと私が彼らの母親だったら、きっとトマスに意見しているだろうと思う。
民衆の敵、と聞いて 市民VS権威 だと思っていたがそうではなかった。
少数派と多数派。トマスVS市民だった。自分があの町に住んでいたら自分はどちらになっていただろうと考える。なんだか舞台を見てからずっとモヤモヤしている自分がいる。正しいことに従うことが果たして一番いいことなのか。なんだかわからなくなってきてしまった。理想と現実、正義と悪、相反するものがグルグルと頭の中を駆け巡っていて、いまも私には正しい答えがわからない。
場面転換では出演者の「民衆」が出て来て踊って表現したり、セットを移動させたりしていて自然で流れるような動きで全く違和感なく行われていた。
また、舞台では石が非常に効果的に使われていた。舞台のすぐ下のスペースにも石が敷き詰められていて、そこを出演者が歩いたりしていた。
最後のシーンでは石が衝撃的でかつ効果的な使い方をされている。
こういう演出は初めてでとてもショッキングだった。
あの石は人々の怒りや恐れの現れなのだろうか。
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最後に、堤真一さんはいつ見てもキリッとしていて本当に素敵で大好き。
今年は「近松心中物語」を含めて舞台を見ることが出来て本当に良かった。特に今回は前から2列目というめちゃくちゃいい席で見ることが出来てラッキーでした。また来年も絶対に堤さんの舞台は観に行きます!
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