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本当のあなたは

「僕がこの家に戻って来る前までは、この家の全部はこの部屋みたいに、きれいだったの?」

私の部屋に入って来た息子が、そのスペースを見まわして言った。

私は何と言って返せばいいか分からなくて、あいまいに「そうね」と笑って答えた。

「ああ、本当に僕は大変なことをしてしまったね」、

彼が力なく、笑う。

私は、そんな彼の横顔を眺めながら、再び思う。

薬を飲んでいない時と、
飲んでいる時、
どちらが本当の彼なのだろう?

彼は、これまでに、多くの物を破壊した。
私と、夫の部屋以外にある、たくさんのモノを。壁を、ドアを、フロアーを。

それは、彼が薬を止めてしばらくしてから起こった。

だから、私は 多くの大切にしていたもの、食器や家具やその他の物を失くしたけれど、それはただの物質だから、
いつか、失くなるものに違いないから、
それよりも、
永遠に変わることのない、
「本当のあなた」を見ていたいと思う。

私が、「本当の私」を見るように。


メンタル・ヘルスのための薬の効用は、彼が薬なしでもやっていけると思わせるほどに、大きかった。
彼は自信を取り戻し、もう、薬はなくても大丈夫、必要ないと自分で決めた。
誰の言葉も、耳には入らなかった。

そういったプロセスは、メンタル・ヘルスの薬を取っている人に、珍しくはない。

そして、その結果を、自身で知ることになる。

私の周りには、薬を取らずに病気を克服した人も何人かいて、その可能性も否定しない。

でも、あなたはいったい誰なの?
どんなふうにこの生を生きていこうとしているの?


20代前半、何も持たずに4年ものあいだ、放浪していたあなた。

その間にいったいどんなことがあったのかを、あなたは話しもしないし、私も聞かない。


あなたの魂は、この生で、何を学ぼうとしているのだろう、
どう生きていこうとしているのだろう。

だけど、そんなこと、誰にも、本人さえも分かりはしない。
ただ、この目の前に現れてくるものだけが、それを指し示してくれる。

あなたは今、仕事のない日はひたすら眠り、時々起きて来ては食べ、そしてまた眠る。
一日何も食べずに、差し出された薬だけを、躊躇もなく飲んで、また眠ることもある。

私は、あなたが今 ここで、一緒に食事を取ったり、優しい笑顔を向けてハグをしてくれるようになったことを、そんな些細なことを、ひとつひとつ、奇跡のように受け取るようになった。
ありきたりの日常が、聖なるものと変わらないことに気がついた。


生まれて来てくれただけで、満足していた、それ以上を望むこともなかったあの頃のように。


あなたは知っているだろうか、
あなたの存在が、私にどんなに大きなことを教えてくれたかを。


けれど、
いつかまた、状況が変わったとしても、
私は あなたが誰であるかを、見失わないようにしよう。

あなたが、この生で、どんな勤めを果たさなければならないとしても、
その現れがどんなものであるとしても、

私は、惑わされないようにしよう。




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