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心は折れない

「これまでに、ぽっきりと心折れた経験はありますか?」

私にはそんな経験がある。
その時、私は生きることに心折れた。
ぽっきりと折れて、もう戻らない。あの時、確かにそう思った。

でも、そこから私は救われたのだ。
「偶然」と「言葉」によって。

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最初に就職した会社で壮絶なイジメに遭ったときも。
全く知らない土地でひとり暮らしすることになったときも。
ある階級制競技に挑戦したものの減量が間に合わず献血で400ml抜いて計量をパスしたときも。
未就学児2人を抱えて無職でシングルマザーになったときも。

振り返れば、人並み以上に「心が折れそうなイベント」を経験しているんじゃないだろうか。それぞれの詳細については、またの機会に、書くかもしれないし心のお蔵入りとなるかもしれない。

つまり、自分がどんな窮地に陥っても、心が折れることはなかった。恐らくこれからもないと思う。

そんな私が「心折れた」のは、1年ほど前のことだった。

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その友人に出会ったのは、今の会社に就職して2ヵ月程経ったときのことだった。

無職のシングルマザーになった私は、血眼になって職を探していた。当時、息子2人はそれぞれ幼稚園と保育園に通っていた。正社員採用してくれて、送り迎えに間に合う定時に帰宅できる。この2点だけに絞って見つけ出したのが、今の会社だ。

業界完全未経験・残業一切NGの40歳のシングルマザーを、面接時にみせた熱意だけで雇った会社は、明らかに私の扱いに困っていた。職人肌の人が多い社内に溶け込めず、途方に暮れていた私に「ご飯食べましょうか?」と誘ってくれたのが、その友人だった。

7つも歳下なのに、私の人生遍歴を聞いてケラケラと笑い、「なんでこんなとこにいるんですか」と遠慮もなく爽快に話す彼とは気が合った。仕事の後、子どもたちも連れてよく飲みに行くようになった。

お互いに恋愛感情があったわけではない。30を過ぎても恋愛下手な彼の相談もよく受けた。「男女間に真の友情は成立しない」とは言われるけど、お互い、親友と呼び合える数少ない人間になっていた。

彼はよく「大丈夫、大丈夫」と笑った。何の根拠も説得力もない言葉に、何故かいつも安心した。どんな時だって「きっと、どうにかなる」「希望はある」そう思わせてくれる魔法の言葉だった。

彼を介して徐々に他の社員とも仲良くなり、私が大して使い物にならない事実は変わらなくても、会社に馴染めるようになった。1年ほど前、引っ越した際にも、社員みんなが手伝ってくれた。今も愛用しているキッチンのカウンターテーブルは彼が組み立ててくれたものだ。

引っ越しが落ち着いた頃、仲間たちで焼肉を食べに行った。私の隣に座った彼は、口数こそいつもより少なかったけれど、ずっと笑顔でみんなの話を聞いていた。


そして、その2週間後。
彼は会社の寮で、自らの命を絶った。

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音もなく、私の心の中のどこかの小さなネジが外れ落ちた。

大丈夫だよ、と笑っていた君は、私を置いて、どこへ行ったのか。
この世界から彼が突然消えたなんてことを、にわかには信じられなかった。
でも、私はその時、初めて、彼の眠る顔を見た。二度と目覚めることのない、その顔を。

すぐに異常には気付かない。しかし、正常に歯車が動くための部品は確かにひとつ足りない。

身近な人の死を経験したことがなかった私は、自分では友人の死を乗り越えて日常を受け入れているつもりだった。
でも、ある日、靴を履こうと下を向くと床に水滴がこぼれ落ちた。
自分の涙だった。

彼がなぜ死を選んだのかは、誰にもわからない。
自分に何かができたかどうかも、わからない。

それでも何もできなかったことを悔いていた私は、少し精神的に病んでいた別の友人の相談にのるようになった。
以前は、「引きずられれば共倒れになるかも」と距離をとっていたのに、そんな冷静な気持ちではいられなかった。

そのことが、私の心の歯車をさらに狂わせた。サンドバッグのように相手の言葉に打たれ、心は暗闇へ引き込まれていった。

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暫くすると、眠れなくなった。食事をしても美味しいと感じることができなかった。あれほど好きだった運動への意欲もなくなっていく。そんな変化が数ヶ月で緩やかに進み、心は静かに、確実に壊れていった。

私は何のために生きているのか。

あんな若い、あんな素晴らしい人間が見捨てたこの世に、歯を食いしばってしがみつく価値などあるのだろうか。
心も生活も不安定な私に、幸せな未来を描ける材料なんて、なにもないのではないだろうか。

そんな考えが日増しに私の心と身体を支配していった。

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2021年3月9日。

もう一週間以上、睡眠もろくにとれていなかったけれど、その日は次男の4歳の誕生日だった。
(そういえば、今日は気になっているYouTubeのライブがあった。質問を募集していたよね。)
中学生の頃、毎日のようにラジオにハガキを送ったのに1度も採用されなかった。
(今回もどうせダメだろうけど。)
最後の運試し。採用されたら、もう少しがんばって生きてみようかな。
そんな賭けのつもりだった。
何度も何度も文面を見直して、丁寧に言葉を選び、その日の朝6時、メールを送った。

夜8時、予定通りライブは始まった。
テーブルには、誕生日パーティーのピザとケーキが食べ散らかしてある。
主役の次男坊は、もらったプラレールを寝っ転がって走らせている。
長男は、珍しく母がリビングのテレビを占領して白黒の映像を観ているので、すっかり飽きて手元の端末で別のYouTubeを観ている。
私は手の中の缶をぺしゃりと握り潰した。もう、この味のしないビールを何本飲んだんだろう。

開始から1時間ほどたった時、画面から声が響いた。

「これまでに、ぽっきりと心折れた経験はありますか?」

それは。それは、私の質問だ。
画面の中に心が吸い込まれる。心臓がドクッドクッと動き始める。

正直、そこから得られる回答で、自分の問題が解決するとは思っていなかった。そもそも採用されるとさえ、思ってもいなかったのだから。

今思えば、求めていたのは、答えじゃなく、誰かと話すこと、心が触れ合うことだったような気がする。

私は、自分が今、正常なのか異常なのか、自分では分からなくなっていた。
誰かの傷を知ったって自分が癒されるわけもないけれど、自分の悩みなど小さいものだと、誰かに言ってもらいたかったのかもしれない。

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「心は棒じゃないから。凹むこともあるけど戻るんですよ。」

「大丈夫。折れてない。それはしなっているだけだから。」

「後で喜びがくるから。」

言葉が、折れてしまったと思い込んでいた心の中に、言葉がしみ込んでくる。

「きょう、次男坊、れんれんの誕生日なんですって」

「おめでとうございます!3月9日!レミオロメン!」

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流れる季節の真ん中で ふと日の長さを感じます

「れんれん おめでとうっていったよ!!」と次男が叫んだ。
「誕生日おめでとう、って本当?偶然じゃないの?」と長男が言った。

私はただただ、呆然と画面を観ていた。

心臓の音が聴こえる。
テレビの音声よりも子供たちの声よりもずっと大きく。

少し落ち着こうと、テーブルの上ですっかり人肌にあたたまったビールに手を伸ばし、ひとくち飲んだ。
苦い。
ネームプレートを奪い合ってぐちゃりと潰れたケーキの残りを食べた。
甘い。
そうか、今日のケーキはこんなに甘かったんだ。

布団に入って抱きしめた2人の息子は、いつもよりも温かかった。

せわしく過ぎる日々の中に 私とあなたで夢を描く

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心は折れることもある。
たとえ一見、元に戻ったとしても、たとえば紙に折り跡が残るように、確実に心に折り跡を残す。折り目のついた心は以前と何かが違う。
でも、それでいい。
折れて、壊れて、ばらばらにならなければ、その傷跡ごと、生きていくことができる。
人生は折り紙のようなものなのかもしれない。

幸い、私は気づくことができたのだ。
この世界は、見る角度を変えれば、見る私自身が変われば、美しく、生きる価値のある場所であることに。

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新たな世界の入口に立ち 気づいたことは
1人じゃないってこと

3人で丸まってくっついた格好のまま、目が覚めた。
カーテンから差し込む光が眩しい。

朝の仕度を終え、玄関から先を競ってばたばたと飛び出す子供たちを追う。
私は、ぐっと力を込めて、靴の紐を締めた。

外に出ると、いつものように大家さんが、いってらっしゃい、と声を掛けてくれる。
私は笑顔で応えた。

「いってきます!」

瞳を閉じればあなたが まぶたのうらにいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい



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