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「やめたい習慣をやめる方法」をヨガに学ぶ

今月で、ソバーキュリアス歴は丸2年を迎えた。

ソバーキュリアスとは「体質的にはお酒が飲めるけれど、ライフスタイルとして、お酒を飲まない立場を選択すること」である

コロナ禍前後から欧米の若者を中心に生まれたムーブメントで、2年前の今ごろ、このテーマで取材をさせてほしい、という雑誌からの依頼をきっかけに、わたしはこの言葉を初めて知った。

ソバーキュリアスという言葉も知らないのに、なぜソバーキュリアス特集の取材オファーがあったのかといえば、当時は「週末だけお酒を飲む」というスタイルをとっていたからだ。

ここで、わたしの飲酒歴をおさらいしておくと

20代〜30代前半:休肝日とは無縁の日々を送る。毎晩ワイン1本以上(1人で!)は空けていた。
35歳で妊娠、36歳で出産:産前産後の2年半はノンアルで過ごす。
30代後半〜40代前半:夫婦の晩酌が再び日課となる。
42歳:2歳上の夫の肝機能数値が跳ね上がったことを機に、平日は飲まず、週末だけ飲むペースに。
48歳:娘の中学受験の最後の半年間は禁酒を決行。しかし受験終了後は、また週末だけ飲むペースに戻る。
49歳:音声配信Voicyや自宅ワークショップを始めたことで日常が忙しくなり、お酒を飲む暇がなくなる。
49歳:前述の雑誌のソバーキュリアス特集の取材を機に、「人生後半は飲まない人になってみるのも面白そう」と興味本位で断酒。
51歳:断酒歴2年、今後も継続予定

わたしの場合、家系的にお酒には強く、飲んでいる最中は、そのおいしさをとことん堪能できる体質でもある。
料理とお酒のマリアージュの妙も、それなりに自分の舌で体験してきたし、ほんの数年前まで、プロフィールの好きなもの欄には、「シャンパンと海老」と堂々と書いていたほど、お酒が大好きだった。

そんなわけで、「お酒をやめた」と伝えると同時に驚かれる場面が、この2年で数えきれないほどあった。

また、そういう場合の多くは「いいなぁ、自分もやめたいんだけど」という言葉が返ってくることに、あるときから気づいた。

やめたいのにやめられない習慣を、わたしたちはどうしたら手放せるのか? 
これが、今回のテーマである。


わたしがお酒をあっさりやめられた理由


雑誌の取材を受ける時点で「ソバーキュリアス」という言葉を知らなかったわたしは、すぐに「飲まないライフスタイルこそがクール」という世界的ブームの火付け役となった本『飲まない生き方 ソバーキュリアス』を買って読んでみた。

すでに「毎日飲む派」から「週末だけ飲む派」になっていたことで取材依頼をいただいているわけで、読み始めた時点では、完全にお酒を断つつもりなど毛頭なかった。

しかし、読み進めるうちにだんだん、だんだんと……「そもそも、なぜわたしはお酒を飲み続けているんだろう?」という気持ちになってきたのである。

大学生以降、自分が「お酒を一切飲まない人」になるなんて、想像すらしたことがなかった。
けれど、2年前はVoicyをスタートしたことによって日々こなすべきタスクがぐんと増えた実感があり、週末であろうと、ゆっくり飲む時間と心の余裕などなかった。なのに、ただ習慣というだけで、週末になるととりあえずプシュッとやりたくなる自分がいる。

もちろん、グビリと飲んだ一瞬はおいしいし、リラックスできて、心と体がほどける感覚も心地いいのだが、その後の家事や事務作業が億劫に感じられたり、翌朝の目覚めの瞬間に、体内にアルコールが少し残っている感じが何となく煩わしい。

つまり、飲んだ瞬間の快楽と、その後のあれこれを天秤にかけたら、いっそ飲まない方が、現在の自分の生活においてはメリットの方が多いことは明らかだった。

「もしかして今、やめどきかも?」。
こうして何の心の準備もなく、もちろん医者からの指導でもなく、単なる思いつきと純粋な好奇心でもって「体調も体質もまったく問題ないのにお酒を一切飲まない生活」をスタートしたのが、2022年6月。

その日から、お酒はまったく飲んでおらず、そのことで悩んだり困ったり残念な思いをしたこともない。
むしろ人生のステージが変わって、質が上がったと感じる場面がたくさんあり、今でも「あー、本当にやめてよかった」としみじみと呟くことが、しょっちゅうある。

この経験から、習慣が依存になる前に手放すことで人は幸福になれると、身を以て学んだ。

一方で、やめたいのにやめられない習慣に悩まされる人も多いのは、なぜだろう? ヨガ哲学の観点から考えてみたい。

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