誰もが風の時代らしく生きている
自分の好きなこと、やりたいことがわかっていて、かつ仕事にできている人こそが、風の時代を輝きながら生きていけるのだと、よく聞こえてくる。
終身雇用なんて遠い過去の話、今は転職も副業も当たり前で、むしろ推奨さえされる時代。
わたしはというと、フリーランス歴も20年を超え、子どものころから好きだった「書くこと」を仕事にできている自負はある。
2020年まで続いた土の時代の、最後の10年が個人的には低迷期だったこともあって、風の時代に入ってずいぶん生きやすくなったと、わたしはこの時代と相性がいいと、実感はしているのだけど……
いや、「好きを仕事にする生き方こそが素晴らしい」という、そんな単純な話ではないのだと、ヨガを学ぶうちに考えが変わってきている。
好きなこと、やりたいことを、今この瞬間はっきり言語化できなくたって、周囲から求められること、誰かに喜んでもらえたり、助かったと感謝してもらえたりすることが何か一つでもあって、そのことに自分なりに一生懸命取り組んでいるなら、風の時代云々ではなく、その姿は輝いているはずだ。
好きなこと、やりたいことをやっているにもかかわらず、自分以外の誰も喜ばせていないという状況だってあるわけで、もちろんそれも無意味なことではないし、本人は苦しいながらも、自分の手足で道を切り拓いて進んでいる手応えがあるだろう。その姿もきっと、輝いている。
大切なのは、目の前にある「やるべきこと」、少なくとも、自分の中ではそう結論を出したことに、精一杯取り組んでいるかどうか、なのだ。
「好き」と「得意」は混同しがち
つい最近まで、わたしは「好きなこと」「やりたいこと」「得意なこと」を混同していた。
なぜなら、自分にとって「書くこと」は、好きなことで、やりたいことで、得意なことだと信じて疑わなかったから。
でもどうやら、そういうわけでもないらしい。
書くことは、好きなことで、やりたいことでもあるのだが、得意なことかというと、それほどでもないようなのだ。
これは謙遜ではく、客観的な事実として。
実際、土の時代の最後の10年の低迷期、「書くこと」だけでは十分に稼ぐことができなかった。はっきりいえば、自分の名前で本を出したところで、売れ行きは毎回芳しくなかったことが物語っている。
だから「好きなこと」と「得意なこと」は、ちゃんと切り分けて見ておかなくてはいけない。
好きという自覚がなくても、他人から頼まれることやほめられること、そのオーダーに応えると喜んだり感謝されたりすることは、他人はわざわざ教えてはくれないけれど、「得意なこと」なのだ。
得意なことは、そう大変に感じることなく成果を出すことができる。
でも、その作業が好きという自覚がないと、自分が他人よりも良質な結果をラクラクと出せていることに、なかなか気づけないのだ。
でも他人は見抜いていて、「あの人、この作業が得意で仕上がりもきれいだからやってもらおう」と頼んでくる。
だから、他人から頼まれがちなことは得意なことである可能性が、とても高い。
「家好き」の芽も幼少期のほめ言葉から
そういえばわたしは幼いころから家族に「奈緒ちゃんはきれい好きで仕事がていねいだから、ここの掃除をしておいてね」とよく頼まれていた(今になってみると、わが母は人を動かす言葉かけが天才的に上手い)。
掃除の作業そのものが好きとか楽しいとか思っていたわけではないけれど、運動神経のいい姉や兄を見ながら、自分は体を動かす方向で評価されるタイプではない、という自己分析は早い段階からしていた。
だから「家や部屋をきれいに整えたらほめてもらえるし、自分も気持ちいいから、別にやってもいいか」と、小学生ごろからは掃除や模様替えに取り組んでいたのである。
その熱量が、他人と比べてとくに高いという自覚はなかった。
そもそも比較する機会もないから、気づかないのだ。
インドア派の人はみんな自分と同じくらいにはインテリアが好きで、同じような工夫もしているんだろう、と思っていたのである。
ところが24歳で一人暮らしを始め、自分の住まいをゼロから作っていくことに無上の喜びを感じたり、部屋に遊びにきた友人から、買い揃えた家具や雑貨をほめられたり、雑誌のインテリアページで取材してもらったりするうちに、「わたしが居心地のよさを追求しながらつくっている住まいは、どうやら他人からも評価してもらえるものらしい」と感じはじめた。
それから20年以上経って、こんな本を出しているのだから、人生はおもしろい。
人から評価されると、「これは自分の得意なこと」という自覚が生まれ、「好き」の気持ちも高まってくる。
だから、いま当たり前にやっていることのなかにも、他人よりラクにこなせることがあって、それが仕事になれば、まさに風の時代らしい「好きを仕事に」は実現するのだ。
「好きなことがわからない」は問題ない
興味深く、また注意が必要なのは、「他人から求められること」が、「自分の得意なことや好きなこと」という自覚がないケースだ。
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