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やってきたことがまとまりだす年齢

取材後の雑談のなかで、いい話を聞いた。

70歳を過ぎて、それまで趣味で集めてきたコレクションの稀少性と価値が認められた収集家の方が、「若いころからいろいろやりたいことをやってきた、それが少しずつまとまってかたちになりはじめたのが50歳ごろだった」と語っていた、という話。
聞かせてくれたのは本人ではなく、その方と親しくしている、わたしと同世代のクリエイターの方だった。

今年50歳になるわたしは、そのとき、目の前から遠くへとまっすぐに伸びていく、光に照らされた美しい道が見えたような気がして、「なんていい話!すごく希望をもらった気がします」と、自分でもわかるくらい弾んだ声で、その話を聞かせてくれた取材相手の方にお礼をいった。

風の時代を生きる兄の話

それからしばらくして、わたしの2歳上で、理学療法士をしている兄が、家族のグループLINEにうれしい報告をしてくれた。
スポーツにおける肉離れについてじっくり10年をかけて研究してきた結果をレポートにまとめたところ、それがスポーツ医学会の学会誌に掲載され、学会理事からも貴重な報告だと高く評価された、と。

兄は小学校からサッカーを始め、大学卒業後はプロ選手にもなったけれど、ケガによってまだ20代のときに引退した。
その後は理学療法士の専門学校に通い、資格習得後はJリーグチーム所属のトレーナーになって、10年勤続したのち3年前に独立。いまは複数の病院と契約して患者さんにリハビリ指導をおこなっている。並行して、夫婦で畑を持って有機農業にも取り組むファーマーでもある。

経歴を書いていて、身内ながら、兄もなかなか風の時代を生きている人だなと思ったのと同時に、感心するのが、うちの両親の寛大さである。

商売を営む家ではないから後継ぎ問題はなかったけれど、二人とも戦中生まれの80歳だ。
父は高度経済成長期やバブル期を、大手企業に勤めるサラリーマンとしてバリバリと駆け抜けた人だし、母も子育てがひと段落した37歳からキャリアウーマンに転身し、70代まで仕事を生きがいのようにして働きまくった人である。

つまり、わたしの実家は世にいう「普通のサラリーマン家庭」で、両親は土の時代の価値観のなかで生きてきた人たちだ。けれど、わたしが大学生のときに「将来は物書きになりたいから、卒業したら出版社に入りたい」といったときも、「会社をやめてフリーランスになる」といったときも、反対されたことはない。必要なときは金銭的な援助もしてくれた。

兄の進路については、両親とどんなやりとりがあったのか、くわしく把握していないけれど、反対などせず応援していたはずだ。
だから兄は今も毎月実家にきて、両親とそのゴルフ仲間の施術を行っているし、こうしてうれしいことがあったら、すぐに家族に報告してくれる。

わたしは兄の報告を読んだグループLINEに、冒頭に書いた「やりたいことがまとまりだすのが50歳ごろらしい」という話を引用しながら、「そう語っていた人は、50歳になる前にご両親が亡くなってしまったそうで、『こうなるってわかっていれば、若いころ、やりたいこと全部に手を出して足元が定まらない自分を心配していた親に、そのうちちゃんとかたちになるから大丈夫だよ、って言ってやれたのに』って話してたって。おにいちゃんは両親がまだ元気なうちに、まとまったところを見せられてよかったね」とメッセージを打った。

すると兄からすぐに「だね。これからですよ」とたのもしい返信がきて、母からは「バカかと思うほど息子を信頼してるから、そんなに心配してなかったけど、なにかやるだろうとは思ってるから」とほほえましい親バカなメッセージが入った。

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生きかた、はたらきかた、暮らし、モノ選びetc.のエッセイが12本入っています。

2022年12月発売のエッセイ集『すこやかなほうへ』(集英社)に収録されたエッセイの下書きをまとめました(有料記事はのぞく)。書籍用に改稿…

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