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そして電子レンジの買い替えでも考えたこと

わが家では、普段からアニミズムの精神が家族全員になんとなく根づいていて、だから家電の故障ひとつにも、いちいちそこに人格や物語を投影してしまうことになる。

先週、冷蔵庫を買い替えた一件を書いたが、

新しい冷蔵庫がやってきて、代わりに古い製品が引き取られていった翌日、なんと隣に置いている電子レンジが壊れた。

突然見たこともないエラー表示が出て、電源を抜き差ししても状況が変わらない。購入から13年が経っており、数日に一回は「この子は本当によくがんばってるよね」と夫と言い合っていたのだが、まさか冷蔵庫が去った翌日に急逝するなんて、思いもしなかった。

故障を確認したとき、たまたま家にはわたししかおらず、取材に出かけた夫にLINEで「嘘みたいだけど、次は電子レンジが壊れたよ」と送った。
それを移動中に読んだ夫は、冷蔵庫と電子レンジに、仲の良かった夫婦の片方が亡くなり、もう一人も後を追うように亡くなる、といったストーリーを重ね合わせて、しみじみしていたらしい。わたしもそういう妄想はけっこう好きなので、この件については「まるで『待って、わたしだけ置いていかないで』って言いながら壊れちゃった感じだよね」などと話をつなぎ、しばらく二人で盛り上がった。

レンジなし生活への興味と決断

アラフィフ夫婦のおセンチな妄想の話はそれくらいにして、現実に戻り、さて電子レンジが壊れた後どうするか、という問題である。

なんとなく、ていねいな暮らしをする人の家には電子レンジがない、というイメージがある。ない? わたしには、ある。

以前読んでおもしろかった、稲垣えみ子さんの『寂しい生活』でも、電子レンジを手放すまでの過程が描かれていたが、結局それがなくなったことで手に入れた解放感や快適さの方が大きかったようだ。
また、最近取材でお会いした人も、引越した先のキッチンに電子レンジの置き場所がつくれず、仕方なく別室に置いているものの、いちいちそこへ行くのも面倒で、セイロを使うようしたら意外といい、という話をしていた。
ラップやプラ容器をなるべく減らそうと試行している今、電子レンジはなければないで、今のわたしはそうした変化も前向きに面白がれる予感もする。

しかし結局は、また新しい電子レンジを買う選択をした。
これをまた10年以上使って、レンジをやめるのはそれが壊れたタイミングでもいいかなと思ったのだ。

もし今、レンジを手放してセイロを使う生活になったら、娘の朝食の準備に、今より確実に10分以上は長くかかるだろう。
更年期に入っているわたしは、以前にくらべて朝起きるのがラクではなく、毎朝ベッドの中で、わが肉体のダル重感と地味に格闘している。そうした症状がおさまるまでは、朝の負担を減らすことはしても、増やすことはしたくないと思ったのが一つ。

また、セイロを使うという料理スタイルは、便利家電のメリットデメリットや、自らの暮らし方との相性や要不要の度合いをたしかめたわたしにとっては前向きな選択となるけれど、これから料理や家事を習得していく娘にとって、家電王国の日本に生まれ育ちながら、冷凍ごはんを温める方法がセイロしかないというのは、果たしてどうなんだろうと思った。
もちろん親であるわたしに、電磁波が人体に及ぼす悪影響についてのしっかりとした知識や見解、それに基づく強い方針があり、「この家に暮らす間はそのルールに従うように」と娘に伝えられるなら、それでいいと思う。
でも現時点では、電子レンジがない生活への興味はあるものの、そこまで揺るぎない「使いたくない理由」もない。だったら、電子レンジを備えたうえで、でも時間があるならセイロでも同じことができるし、むしろこっちの方がおいしい、という事実を教えつつ、娘が自分で暮らしをつくっていく立場になったときに、自分に合った道を選べばいいかなと思った。

今の暮らしに合った性能

それで、購入したのがこの製品である。

これも、先代のオーブンレンジと同じメーカーで、ただし機能をコンパクト化したもの。
単機能電子レンジではなくオーブンレンジを買うのは、備え付けのガスオーブンを使うほどではないトースター程度のオーブン機能を、わたしは日々の料理でひんぱんに使うからだ。
価格面で見れば、単機能電子レンジは1万円前後の製品もあるから、それとトースターを別々で買うという方法もありだが、家電はできるだけ増やしたくないのでこれ一台とした。

先代の機種はもう一回り大きく、「スチーム解凍」とか「カリッとフライ」とか「発酵モード」とか機能がもっと充実していて、それらを便利に活用もしていたのだが、せっかくあるから使おうとしていただけで、なければないで別にいい、それよりはもっとシンプルでコンパクトな方がいい、という視点で選んだらこれになった。

こうして、冷蔵庫も電子レンジも、いろいろ考えた結果の決断は、この先のさらなる「暮らしのコンパクト化」を見据えた上での、一段階縮小レベルに止まった。けれど、その周辺で起きた自分の意識の見直しや捉え直しは、それなりに有意義だったと思う。

あと一週間で40代最後の年齢となる身、これから起こるすべてのことは「見直すチャンス」と思って、周囲から多少呆れられながらも、一つ一つ、大真面目に考え、迷い、決断していこうと思います。


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