勝ち上がるのは誰のため?

プレゼンコンテストに出るのは、これが2回目。

1回目は15歳のとき。地元の英語プレゼンテーション大会で2位か3位を取り、オーストラリアへ飛び出した。初めての海外だった。

そして大学4回生、23歳の今。世界一周航空券がもう目の前まで来ている。


15歳のとき、私は自分を信じて疑わなかった。最終審査のプレゼンの順番は最後。20人近くの中学生のプレゼンを聞いた審査員も観客もとっくに疲れているだろう、とは露ほども考えなかった。私がつたない英語でコンゴの内紛について熱く語っている間、頭は意外なほど冷静だった。審査員との質疑応答が終わったとき、勝った、と思った。毎朝毎晩、原稿をそらんじて、少しでもわからない表現があればすぐに英語の先生のもとに飛んで行って質問した。休み時間はフィリピンから来た先生にひたすら話しかけて、最終審査の質疑応答で英語の質問を聞き取れるように練習した。ここまでやって、当日も堂々と大ホールの中央でプレゼンできて、しかもとっても社会的かつ真剣な話をしている。絶対通る。そう思っていたし、実際に通った。とにかく私は、自分のパフォーマンスにもプレゼンの内容にも絶対の自信があって、何一つ疑わなかった。「社会のため」を掲げた私は、無敵だった。


だけど、今はどうだ?

今の私は、社会のためなんて一言も言っていない。2年前までは杉原千畝みたいになりたかった、でも外交官になるには、私は力不足だった。私より優秀で有能で語学に堪能な人間はいくらでもいる。私の上位互換なんて、掃いて捨てるほどいる。4回も大学受験をして、3か月の予備校生活に絶望しなくても、一発で受かってしまうエリートはいる。神戸で出会ったゼミの同期は、あっさりと(ではないかもしれないが)国家公務員になった。頭の切れる人たちは今でも心底うらやましいし、かっこいいな、と思う。でも彼に出会って、やっと本当の意味で外務省への思いは断ち切れた気がする。


そんなことはどうでもいい。

とにかく私は、本気で社会のため、自分の知らない誰かのために自分の人生を懸けて動ける人になりたかった。でも今は、とてもそんな風には思えない。私はセミファイナルに来るまでに、見たくないものをたくさん見た。知らない方が幸せだったこと、気付かなくて良いことを嫌というほど思い知らされた。

だんだんと食事が喉を通らなくなった。明け方まで眠れなくなる時間が続いた。動悸が収まらなくなった。街中で立ちすくむ瞬間が増えた。人を信用できなくなった。これまで見ていた世界がいかに薄っぺらいものだったか、よく思い知らされた。人は成功しているときには寄ってくるし、上手くいっていないときは離れていく。手のひらを返されたような感覚。あの言葉ってほんまやったんや、って、よくわかった。

だから私は、全てに関心を持つことをやめた。「仲間探し」なんてもってのほか。自分と同じ気質だからって、分かり合えるとは限らない。別の人間だから当然ではあるけど、あのときの私は、私みたいに苦しんでいる人たちを少しでも楽にできたら良いと、本気で思っていた。それは半分は成功で、半分は失敗に終わった。私は人に興味を持つことをやめてやる、そう思った。


でも、無理だった。

セミファイナルに上がったのは8人。誰かが上がるということは、誰かが落ちる。私はまだ、その意味を正しく理解できていなかった。彼らがライバルだということを、これがコンテストだということを、半ば失念していた。一緒に過ごす時間があまりにも楽しくて。こんな面白い人たち、普通に過ごしていたら出会えない。ZOOM上で話す時間も、念願の対面が叶った瞬間も、私には本当に大切で愛おしい時間だった。DREAMは地獄だ、もう辞めたい、なんて言う一方で、DREAMerたちと切磋琢磨するこの時間がずっと続けばいいって、本気で思っていた。あまりにもかっこよくて、眩しくて、そんなみんなと横に並べて、つらいことも共有できる私の立場が誇らしくもあった。こんなにすごくて夢に向かってキラキラしてる人たちと出会えた私、すごいやろって。

でも当然、終わりは来る。上位1%に上がった私は、残りの99%の人たちが後ろにいることを、昨晩、自覚した。急に怖くなった。自分がいつのまにか、すごく遠くまで来てしまったことに。無我夢中で走っている間、景色を楽しむ余裕はなかった。ただ山頂だけを目指して、ひたすら走っていた。そして、こんなにもやれた、もう満足だ、どんな結果でも良い。よくやった、私! そう思った瞬間、現実に襲われた。私は引き返せないところまで来ていた。最後の8人まで勝ち上がった。影が濃いから、光も強くなる。背負うべきものはとてつもなく大きくて重かった。ここに来るまでに何度涙を流したか、もう数えられないけど、昨晩が一番意味のある涙だった。優勝します、その言葉以外は無意味だ。人の夢に優劣なんてない。それをここに来るまでに痛感した私だからこそ、優勝して、私の力で証明しなければならない。セミファイナリスト、それはもう私一人の立場じゃない。


勝ち上がるのは誰のため?

もちろん、第一は私のためだ。その軸だけは、絶対に最後まで持ち続けないといけない。自分を貫き通すことは地獄だ。だけど自分を隠すことにはうんざりしていた。だから生ぬるい生き方はやめた。覚悟はとっくの昔に乗り越えている。

そして、私を受けとめてくれた人たちのためだ。年末からずっと応援してくれてる人、WEB投票で快く協力してくれた人、安くはないチケット代を払って私のプレゼンを見に来てくれる人、突然かけた電話に驚きながらも話を聞いてくれた人。運営と両立できていない私をずっとフォローしてくれている舞台チーム。そして、何を話しても、泣いても怒っても喚いても、2か月間ずっと隣で支えてきてくれたメンター。沙希をあの大きな舞台に連れていきたい、私を受けとめてくれた人たちに同じ景色を見てほしい、それが恩返しになると信じて、勝ち上がるために努力してきた。

みんなのために、社会のために。私は絶対に言わない。それにはもっと適任がいる。大多数の誰かを幸せにする夢は、私の大好きなDREAMerたちが叶えてくれる。行動力も熱意もロジックも持ち合わせた、とても視座の高くて人間味にあふれた、最高のライバルであり戦友のみんなが。

じゃあ、私の最適解は? 私と私を受けとめてくれた人たちの心を軽くすること。狭い範囲で良い。私は私を大切にしてくれる人たちに恩返しをする。そのために、残り10日、強気でいく。優勝するのは私です。

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