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The Morning Sun

#朝日  #青空 #新緑の木々 #テンプル
山の端から顔を出し、すでに明るい朝を迎えた街をより明るく、強く照らし、熱を与える役目を持っています。ますます力を増しているこの太陽は、とは言え、みんなが受けている恩恵を自分の役割だとは思ってるわけではないでしょう。強い火の力が地球に届き、私たちがその力をありがたく受け取っているだけ。私たちのためだけに太陽は存在しているわけではないし、何か他のために太陽は存在し続けているわけではないのでしょう。
自然と目的は別次元の存在なのでしょう。私たち自身が自然の一部であることを考えると、私たち自身も目的とは無縁なはず。私たちは何のために存在しているのかという命題は、そもそも成立し得ないものなのかもしれない。
もっともこれは、私たち自身が自然の一部、自然であるということを前提とした話であるが。
人は、自分の存在意義を見つけたがるものだ。何のために生まれてきたのか。自分に何ができるのか。どんなことで役に立てるのか。こんなことで人が喜んでくれるのか。
私が作るこれで多くの人が救われたら嬉しい。
私たちは、そんな風に悩みながら、日々の生を営んでいるわけだ。それが人生なのだ。
本来なら存在し得ないものを求めている。
それによって苦しみ、悩み、それを手に入れたっぽい人を羨ましがり、妬み、嫉み、そして自分自身を否定しがちになる。
人間とは、手に入れていないものを求めるものだ。
それが手に入れることのできるものかどうかも知らないのに。いやむしろ、知らないから求めるのだろう。

わからないもの、知らないもの、見たことのないものを、「だからない」と考えるか、「だから求める」のかはそれぞれだが、少なくとも既に持っているものは存在しているという事実は、なぜ人を突き動かすことができないのだろうか。
それは、あるものとないものをミックスして、パワーアップしたいから。

あるかないかわからなくても、探し続けるという活動が、人を人たらしめ、成長させてくれるのだろう。

私たち人も、太陽のように、自然の一部であるのだから、何か意義があるのだと考えながら存在するのではなく、あるがままでいるだけで、自分を役立ててくれる「他」があるはずなのに。それを多様性と呼ぶはずなのに。

何のためにこれあるの?って本当に必要な議論なのか。

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