![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/28871214/rectangle_large_type_2_ae7fa1d96735bcd35771032e4823f0a2.jpg?width=1200)
ミックスの私達がルーツの話をするタイミング
あんなさんのTwitterより、「初対面の自己紹介で踏み込まれた質問をされたとき、このようなカードを渡すことがある」と、あらかじめミックス(ハーフ)がよくされる質問事項をまとめたカードの画像のツイートを目にした人も多いと思う。
私がどれだけミックスに関する質問を受けているか、そしてそれにうんざりしているかというと、こんなカードを作って常に定期入れに携帯しているくらいです。 pic.twitter.com/lEPMf9shH6
— あんな (@annaPHd9pj) June 16, 2020
私はあんなさんと同じアメリカと日本のミックスで、彼女のツイートを読むと彼女とはかなり似たバックグラウンドを持っていると感じた。
そして、正直、今回のこのカードの案は『アリ』だと思った。
ただ、気になったのは引用リツイートやリプライの中に「このようなカードを渡すこと自体が失礼」、または「私は聞かれることが嬉しいから構わない」と言うミックスの人たちの意見もいくつか見られたことだ。
今回、私の経験も踏まえつつ、そういったミックスの子たちに向けてnoteを書こう思った経緯はそこからだった。
●前提として、ルーツの話はパーソナルな事であると知ろう。
日本で生まれ育ち、見た目が両親のルーツにより目立つ場合、今まで初対面でそこに触れられるのは半ば避けられず、確かにそれ自体を会話の糸口として利用してきた人も多いだろう。(私もかつてはそうだった。)
しかし、考えてみてほしい。
「ハーフかどうか」と聞かれるということは、すなわち他者から「あなたは”ふつう”の日本人とは毛色の違った存在である」と言われているも同義で、どんなに自分のアイデンティティは日本に近くとも、毎回「あなたは”私たち”と違う」と念を押されているようなものなのである。
(ここで怖いのは、ミックスである私たち自身も”違う”から聞かれるのは”あたりまえ”もしくは”ふつう”だと何の疑いもなく思ってしまうことである。自身のモヤモヤとした気持ちに蓋をしてまで。)
そして、この「ハーフですか?」という質問の後には、決まって後続する質問があり、私たちは人生の中でこの答えを何度も何度も(それはもう想像もできないほど)反復して答えていくのである。(これを面倒と言わずなんといえばいいのか。)
ミックスである事は、必然的に親の話になりやすい。しかし、国際結婚の離婚率を見ていただけたら分かるように、私を含め複雑な家庭環境で育ったミックスの人たちが多く、この話をすること自体が困難だったり、苦痛に感じる人がいるのは想像に難くない。
●聞かれると嬉しい、聞かれ待ちをするミックスの人たちへ
ここで、私の経験をひとつシェアしたいと思う。
大学一年生の頃の話だ。
当時、私は田舎のとある大学生で、どこへ行ってもとんでもなく目立っていたため初対面で外見についての話からルーツの話をするのは”あたりまえ”だと思っていた。
一年生のみんなで一度、展覧会を開いたときのことだ。
受付のシフトに入っていたら、OBの先輩が展覧会を見にやってきた。(彼はよくいる”在学生にも顔を知られているタイプのOB”で、一年生にも知り合いがいるほどだった。)私は、当然ハーフであるから興味を持ってもらえて、話しかけられるのだろうと高をくくっていた。
しかし、彼は芳名録に名前を書いた後、軽くこちらに会釈したのち、彼の知り合いの一年生と会話をしてすぐに展示を見に会場へ入っていった。
私はこの時の感情をとてもよく覚えている。
『こんなに目立つ私に声をかけない人がいるんだ。』
疑問と、衝撃だった。
今ならわかる。この感情がどんなに傲慢で自己中心的か。
「ハーフであり、その説明をする。」私の中の”あたりまえ”が崩れた瞬間だった。今思えば、彼は初対面の人としてただ普通の対応をしただけだ。のちに、彼とは友人伝いに食事をして知り合いとなった。やはり、私を”ハーフ”としてではなく大学の後輩として扱ってくれる、フラットな人だった。
●私の”タイミング”で話す
確かに、ルーツの話は会話の糸口になり得るかもしれない。しかし、上記に書いた通り、自分が話せるからと言ってほかのミックスの子たちがそうだとは思うべきではない。それぞれの持つバックグラウンドは違うし、それこそポジティブにとらえることが是とされるのはマジョリティに迎合しているのではと思う。(マイノリティの過剰適応と呼ばれる。気になる方は調べてみてほしい。)
ここで問われるのは、「私たち(ミックス側)の自発性」だと思う。
そう、ルーツの話を「話したい」と思ったタイミングで、自ら話せばいいのだ。自分が、ルーツの話をアイスブレークや会話の導入として使いたいと思えば使えばいいし、話したくないと思えば話さなくていい。
ここでポイントなのは、「ミックスが自ら、ルーツの話をするかどうか選択できる」ということである。
そして、その自発性はマジョリティの人から「聞かれない」ことによってもたらされるのである。
●マジョリティの人に待ってほしい
どうか、マジョリティの人々は、私たちが自分でルーツの話を始めるのを待ってほしい。
もしかしたら、それは会ってすぐではなく二回目、三回目、もっと先かもしれない。私たちがそれぞれ「話したい」と言うタイミングが来るまで、ルーツにわざわざ言及しなくても人間関係は構築できるものだと私は思う。
●初対面カードの有用性
「ハーフ、カード」で検索をかけると、「こんなカードを渡す方が失礼」だとか「こんなカードをもらったら関わろうとすら思わなくなる」と言う意見が散見された。
面白いことに、このカードは本当によく出来ていて、渡す側も「初対面でずけずけと(しかも通りすがりなど、行き当たりばったり的な出会いで)人のプライベートな部分に踏み込んでくる失礼な人」とはこれから関わりたいとすら思わないので、実質のところお互いwin-winなのである。
個人的な話にはなるが、私は今までの人生で初対面ハーフだからとその話をしても、その後その人と良好な関係を築いたことがない。結局彼らが気になるのは私の「外側」で、そこに関する自分の好奇心や疑問点をぶるけるだけぶつけた後私の前から立ち去っていく。
私には数多くの素晴らしい友人がいる。幼いころからずっと仲良くしている親友たちや、私と共通の趣味から仲良くなった友人たち。私の中身を好きになってくれた人たちばかりだ。
私は、自分の好奇心を自制することができない人との新しい出会いより、私の中身を好いてくれる友人たちとの関わりで十分満たされているのである。
まとめ
●初対面でルーツの話を聞かれるのはあたりまえではないと知ろう
●ルーツの話をするかしないかは、自分で選択できることだと知ろう
●見た目からルーツの話を聞きたくても、自分の好奇心が人を傷つけることもあると知ろう
「ご出身はどちらですか?」「福岡です。」「ああ、ラーメンおいしいですよね!」と続くのが通常の会話だと思う。
私の場合は「え?でも外見が…ご両親は海外の方?」となかば強制的に福岡の話から変わってしまう。私にとって、アメリカの話より福岡の話の方がたくさん、面白い話ができるというのに。そして、両親の離婚話をまた初対面の人にしなければならない。(なぜ、今日偶然会った人にそこまで話さなくてはならないのか。)
今日の天気を聞くトーンと同じで、ハーフなんですかと聞く人がいる。なら本当に、天気の話をすればいいだけの話である。天気は移ろうが、私たちのルーツは人生をかけて私達が向き合うものであり、日和見的な会話の糸口として使うにはあまりにも重たさが違うのだと主張したい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?