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Vegan徹底分析シリーズ第3弾。 動物愛護の限界。【2020/12/30公開】

編集後記:

2020の〆は、この動画になりました。敵を作りたいわけじゃないし、別に動物愛護に反対してるわけじゃないんだよー!っていうメッセージが伝わるかどうかは、受け取り方は人それぞれなので分かりませんが、限界と犠牲は否めないのが本当のメッセージ。なんだかよく分かりませんが、2021も自分なりに噛み砕いた動画(台本。笑)を発信していければと思っています。

台本:

Veganにこだわらなくてもいいんじゃない?ってお話、パート3
です。

Veganって完全菜食主義者のことですが、近年、先進国を中心にVeganになる人が急増しているって話で、
Veganに転向する理由としては大きく分けて3つあると言う話でした。
(Veganと健康について話した第1部、Veganと環境保護について話した第2部、をご覧になっていない方は、ぜひそちらもご視聴ください!)

今日の第3部では、動物愛護の精神の元Veganという生き方を選ぶという選択について紐解いていきます。

もちろんどこまで厳格なビーガンかにもよりますが、動物愛護のためにビーガンライフスタイルを選んでいる人は、動物性の食品を口にしないばかりか、動物の毛皮も身につけない使わない(服や鞄、靴など)し、動物実験されていないコスメや石鹸を使い、自分の身の回りのありとあらゆる場面で、動物が関わっていないかを気遣います。実際のところ、どこまでこだわりきれるのかは個人差はあると思いますが。これ自体すごいことですよね。

(今回は、深い信仰心のもと、宗教的な理由で完全菜食を実践する人は除きます)

で、まず、
動物愛護の為にビーガンだ、といっても、細かい理由やきっかけは様々です。

生き物がどのようにして食品となるかの過程のリアルさや残酷さを見せつけられるのがきっかけで嫌になったりトラウマになったりで口にできなくなるパターンもあれば、
現在や過去のペット(家族の域)と重ねてみてしまう人もいます。
いわゆる「かわいそう」「考えられない」思ってしまいます。

そして、Veganの思想で行き着くとこrは、
動物を弱者とみなし、人間の都合によってその命を支配されること、苦しむこと、に対して絶対的に反対する、避けると言うことです。
違う言葉で言うと、「人間は動物を搾取することなく生きるべき」と言う主張です。
これは、
実は、古来インド発祥の宗教の教えである、アヒンサーと言う概念からきていると言われています。アヒンサーというのは”非暴力”という意味で、動物を殺したり食べたりすることは愚か、虫一匹殺してはいけないっていう教えです。
インドに菜食主義が多いのはこの教えが強く根付いているからです。

動物の命を大切にする、というのは私も理解できます。
虐待にも暴力にも反対です。

だからといって、「肉を食べます」ということで悪者扱いされるのは、ちょっと違うなぁ、と思うのです。

人間の欲を満たす為だけに生まれて死んでゆく動物がいるのも真実だとは思いますし、
非人道的な扱いを受けて飼育されたり屠殺された動物はできるだけ避けたいし、減って欲しいとは思います。
でも、どこまでこだわって避ける??と言われると、そこには個人差がありますね。
私たち人間は地球上の生命体の一種でありながらも、他の動物と似て非なるものへと発展を遂げたわけです。
命をいただく、というのは、私たち人間が文化を築いていく、生き延びていく上で欠かせない役割を果たしました。だから、否定はできない事です。
大昔とは違って、爆発的に地球上の人口が増えてしまったのは大きな課題ですし、
安さや効率の良さを求めるがあまり、農林水産の形も悪い方に行き過ぎてる感は否めませんけども、

でも、

どこで線引きするか、は人それぞれです。
一番難しいのも結局はここだと思います。

動物愛護は全ての動物の命を大切にし、その命を奪うことはおろか、支配することも嫌うわけですが、
と言っても、そこには単純に解決できないたくさんの課題が残っています。

課題
すぐ思いつくことでいうと、例えばペットの問題。
ペットを飼うことすら反対な厳格なビーガンもいると聞きますが、例えば猫ちゃんを飼う場合には、猫は肉食動物ですので、動物性の食べ物を上げないと、やがて体調を崩してしまいます。それはある種の虐待になりますから、そんな事をするヴィーガンはいないと思うのですが、ではペットフードなら動物を殺して作られた物でも良いのか?となります。

これに似た例で言うと、
妊娠した時、授乳中、あと育ち盛りの子供はどうするの?
って言うのも問題です。
自分の健康ならまだしも、自分の子供の健康を守る責任がある状態では、リスクは負いたくないのが親の心情ではないでしょうか。

次に、どこまでが愛護の対象なのか、という点です。
これは、どこまで厳格なのかにもよると思います。
例えば、家に入ってくる害虫は殺虫剤使っても良いの?とか、蚊は殺さないの?とか。動物、虫、害虫を分けるのはなんなのか。はっきりとしたものではないですよね。

となると、、、やっぱりどこまでやるの?やらないといけないの?となります。

やっぱり、線引きなんです。

例えば、ビーガンになる前に革靴を持っていたとして、それをビーガンになったからといって捨てますか?それとも過去に失われた命は大切に履き続けるのでしょうか?これから買わない、と言うのは理解できますが、昔から持っているカバンやセーターやジャケットや、手袋、サッカーボール、実に様々なものが私たちの生活の一部となっています。

ビーガンにならないといって、動物虐待に賛成している訳では全くないですし、
ビーガンじゃないからといって、全ての動物性の食品をいっしょくたにして平等に見ている訳ではありません。

ビーガンじゃなくても、お肉を選択しないことかってあるし、動物が実験に使われていないコスメを選ぶ事かってできます。

私は、決してビーガンという生き方を否定するものではありません。
ビーガンを始めたばかりの人や、ビーガンについて興味を持って情報収集をしている人の為に、「ビーガン」を名乗る重みを知って欲しいと思っているだけなんです。

「ビーガン」と名乗るのは、一種のステートメントなんです。意思表明です。
元は、宗教的な概念からきているものの、
宗教みたいに、掟を破ればバチがあたる、なんてことはないですが、
少なくとも、めちゃくちゃ気を付けるか、結構なお金をかけないと、やがて自分の健康を害する覚悟は持っておいた方が良いです。

え?????って思った人は、こちらの動画を参考にしてください。

自分の健康を犠牲にしてでも、それでも全ての動物の命を守る方が大事だという選択をするならば、それはそれで、個人の自由ですが、
家族や友人や、共存している自分の身の回りの全体像をみて、判断して欲しいと思います。

さて、この度3回に分けて、ビーガンのお話をしました。
一見、ビーガン反対派に思われがちですが、反対している訳では全然ありません。
その辺は、個人の選択を尊重するタイプです。

ビーガンの人は私の周りにもたくさんいます。中の良い友達や家族にもビーガンがいます。私自身、カナダのバンクーバーという都市に住んでいるのですが、ビーガンレストランもたくさんありますし、ほっとんどのレストランやファーストフードのチェーンですら、ビーガンのメニューが存在しているほどです。ということは、ビーガンの人はとっても多いということですよね?
そして、ビーガンであっても、ビーガンでなくてもお互いの考えには干渉しません。(一部の過激派の人達を除けば)
私も、野菜はめちゃめちゃ大好きですので、ビーガンの料理を食べることも多々あります。

現代を生きる私たちは地球規模でたくさんの課題を抱えています。
環境問題はもちろんのこと、人権や格差や差別の問題も、戦争の問題もいろいろあありますよね。
植物由来の食品の生産にも、「できるだけ安く」の需要を満たすために世界ではたくさんの不当な低賃金労働や子供の労働がまだまだ根強く残っています。

で、線引きという言葉をたくさん使いましたが、私が推していきたい線引きは「動物」と「植物」かを分ける線引きではなく、やっぱりいきつくところは「自分にでその時きる事をする」ただ、それだけだと思っています。
お金がある人は、お金をかけてやれる事をやればいいし、時間がある人は、時間をかけてやれる事をやればいい。

生活を一新する経済力はなくても、海や山のゴミ拾いに参加することはできる。
安物の外国産のお肉をできるだけ避けてみる。
できるだけ国産、出来るだけ地元で出来た農産物や海産物を買ってみる、
使い捨てのものを極力買わない、
など個人個人のレベルでそれぞれできることは山ほどあるんです。

今までより、よりお金をかけないと出来ないこともありますが、それも工夫次第でなんとかなることもあります。お金おかけないでできることもたくさんあります。

ちなみに、食事の面で、基本的に植物性を選ぶけど、肉もたまに食べる、みたいな感じな人を、最近はフレキシタリアンと呼びます。日本では、「ゆるベジ」と言うワードがわかりやすいと思います。
私は、少しでもヴィーガンとは何か?って興味を持った人は、どちらかと言うとここからのスタートがぴったりではないかな?と思ってます。

どっちにしろ、
この動画が、「少し考えてみる」きっかけになれば嬉しいです!s

という訳で、長くなりましたが、終わります。

ご視聴ありがとうございました!

動画リンク

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