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「その情報、エビデンスあるの?」の真偽【2020/9/10公開】

編集後記:

「エビデンス」というカタカナ、日本でもたくさん見かけるようになりました。特に、宣伝文句によく濫用されてるケースをよく見かけますが、実際のところ理解している人はどれぐらいいるのだろう?

「エビデンス」があるからいいってもんじゃない!そんな思いから生まれた動画です。

この辺から、動画投稿が2週間おきぐらいに。。。

台本:

このご時世「信頼できる情報」とは何か?

よく言われるのが、「現在私たちが1日に触れる情報量は、江戸時代の1年分、平安時代の一生分」とも言われる

インパクトある、が、もちろん全てがそのまま受け入れて良い真実の情報ではないことはみなさんご存知の通りで、情報量の大きな部分を閉める宣伝や広告は大げさなものや、言葉の魔術的なものがある。


そんな中、とある情報を信用できるかどうかの判断するときの目印として、


「エビデンス」という言葉、よく耳にすると思います。
英語ではただ単に「証拠」という意味ですが、
日本語で「エビデンス」というと、「科学」的根拠という意味で使われて
いると思っていいと思います。

特に、何かの専門家として情報を伝える場合は、伝えようとしている事が何をベース、どんな根拠のもと成り立つのかのエビデンスで裏付けられるかいなかでは大違いです。(そのため、専門家であればあるほど、発言に注意が必要。)

選択材料、判断材料として、エビデンスがあるかないかは重要度や信用度合いが変わってくるものです。

特に科学的根拠と呼ばれるサイエンティフィックエビデンスと呼ばれるものは、深入りすることなく、その言葉を聞いた瞬間、信用してしまう傾向にある人がほとんどではないでしょうか。

科学的に実証されている根拠


科学的根拠がないと何も行動に移さないという人もいます。
事実として、真実の情報として、受け取ってしまいがちな「エビデンス」
という言葉。

一般的にはちゃんと理解できていない人が多いのが印象で、
言葉だけが一人歩きしてしまってる事が多いと感じ、今回は私の見解を動画にしてみることにしました。。

なぜ、「エビデンス」だけを信じてはいけないのか(理由1:エビデンスがある、だけでは浅い)
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**エビデンスがある=揺るがない真実ではない**
「科学的に実証されている根拠」がある、と言うことですが、
エビデンスにもレベルがあり、
エビデンスレベルが高い、低いに分類されます。
(よく、ピラミッドの形で表され、高いものはピラミッドの上をさす)
エビデンスがあっても、低いエビデンスレベルのものは、根拠がない訳ではないが、単純に信じてはいけないもの、と言うことになります。
どんな実験や、調査や、研究や、論文や論文の数などで、エビデンスレベルがかわります。

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えば、国が指針や基準として出されているガイドラインなどは、十分なエビデンスを元にして作られたものなはずなので、信頼性が高いと言えます。
例えば、海外セレブに人気のウワサのスーパーフードの効能を調べる実験結果がその商品のウェブサイトで紹介されている。大抵、すごく魅力的な結果がつらつら書かれている訳ですが、目新しいものは、十分なプロセスを経て結論が出ているものは少ないので、大抵が、エビデンスレベルの低いものに分類されてしまいます。
エビデンスレベルが低いままのものは、やがてフェイドアウトしていき、次のスーパーフードが現れます。これがいわゆる、ただの「流行り」ってやつです。
雑学になるかもしれないですが、この「流行り」のスーパーフードとか成分とかは、きちんと納得のいくレベルのエビデンスというか、答えが世間一般の常識となるまでは、10年ほどかかると言われています。
でも、10年も前のものなんて、ほとんどの人が見向きもしないですよね。
人は目新しいものが好きですからね。

なぜ、「エビデンス」だけを信じてはいけないのか(理由2:エビデンスは約束ではない)
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でも、個人に目を向けた時はどうでしょう。
ガイドラインさえ守っていたら安心安全、ではないことも出てきますよね。
スーパーフードも、結果が出ている人がいるから話題になる訳です。

なぜなら、十人十色で人にはそれぞれ個性があるからです。
だからこそ、自分の事を少しでも知っておく必要があるのです。
自分の特徴を知っていれば知っているほど、良い選択ができるようになると言うことです。
極端に言うと、騙されたり、後々後悔したり、という可能性を低くできる、ということです。
だから、体に合うもの、自分に合うものが見つかった時は、流行が終わっても続ける価値があります。
エビデンスが出るまで待たなくて良い、という判断を下すこともできるようになります。
でも、それでもいいと思います。
ただ、忘れてはいけないことは、大人になると、自分がした選択や判断には、最終的に自分で責任を持たないといけないですよね。
だから、冒険的な人もいれば、保守的な人も出てくる訳です。
それは、性格的な事も大いに関わってるので、仕方のない事です。

ただ、エビデンスに期待をしすぎるのは賢明ではありません。
「エビデンス」と「確率」
エビデンスは絶対ではない。
確率は個人では何の意味も持たない事ってないですか?
自分は運が良いとか運が悪いとかそう事でエビデンスに賭けれるかどうかの自信も変わります。
(安心はあっても確証はない)

ヘルスリテラシー 健康を決める力
商業目的の情報
セカンドオピニオン
医師や専門家にセカンドオピニオンをもらう選択もあります。

ただ、やはり個人的な人間関係がないと、その真意や意図はわからない。


「エビデンス」ではない「体験談」の価値

同じような境遇、年齢、体型や体質

Educated guess/choice/decision


結論:
人それぞれ捉え方や価値観が違う


要するに、信頼できる情報とは、まず、その情報の出所を信用・信頼しているかということ。
「信頼」は客観的と言うよりは主観的であると言う事。

ネットを検索すれば、探している情報は必ず見つかります。
ただ、その情報が質の良い情報であるかどうかは、リサーチには時間がかかります。だから、その手間を省くために、有識者や専門家に聞いた方が早い訳です。

自分で判断できず、外からのアドバイスや後押しが必要であれば、優先すべきは自分の事を知っているか、自分の事を理解している人か、という事が大事なんです。

専門知識を持っている人でも、100%の答えを持っている訳ではありません。
例えば、私は体のことなら何でも聞いてください、といっていますが、個人的なアドバイスをする場合、アドバイスをする上でひつ


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