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シンエヴァ:実写宇部新川駅の本当の理由

最終作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開からも随分と時間が経ってしまいましたが、公開当時から思っていることを書きたいと思います。
それは、最後に実写で宇部新川駅が出た理由。
これについて納得できるものを見つけられていないということもあり、ぼくなりの解釈を書きたいと思います。

大前提:エヴァはACの話

TVシリーズの時から、「エヴァはACの話だ」と言われています。
ACとはアダルトチルドレン。簡単に言うと子ども時代に保育者から愛情を得られなかったがために、大人になっても無償の愛に飢えている人たちのことです。でも本人にしてみると、無数の生きづらさをを抱え、しかもその理由がはっきり分からない。なぜか人に好かれない、恋愛が続かない、といった問題や想像しがたい心の苦しみに悩まされます。

エヴァの〇〇チルドレンと呼ばれるパイロットの子どもも、ネルフの大人たちも、ほとんどがACなのです。
庵野監督は「エヴァの登場人物はみんな僕」と言っていたということで、要するに1人のACの人間を症状ごとにキャラを分けたのです。
これはアニメなどではよく使う手法です。
シンエヴァの終盤では、ゲンドウが「ユイだけが無償の愛をくれた」といった話をしています。ACは無償の愛に飢えていますので、それをくれる人に依存しようとします。ゲンドウにとってユイは妻ではなく、母親という感覚なのです。

エヴァは庵野監督の自分語り

アニメに於いて、裏テーマが設定されていることはよくありますね。
単純な例では戦争アニメのテーマは反戦だとか、そういう。
『おおかみこどもの雨と雪』はおおかみ人間という設定ですが発達障害の話であるし、『千と千尋の神隠し』は異世界に行く話ではなくて千尋の反抗期の話ですね。
でもエヴァってそういうのとは全く次元が違っていて、虎の威を借る狐。ロボットアニメの皮をかぶった庵野監督の自分語り。これが真相だと思います。

インパクトや使徒のこと

観てない人でも知ってるレベルの「セカンドインパクト」などのインパクトシリーズ。これは心の葛藤と爆発だろうと思います。「自分の好きな人がいない世界なんて意味ない!」って、そういう感情誰しも抱いたことありますよね。そうして殻に閉じこもってしまう状態。それがインパクトシリーズだと思います。

シンエヴァの「ネオンジェネシス」は、無償の愛を求めることからの卒業。すなわちACからの解脱です。シンジ君が一人一人の心を開放していきますけど、元は一人の人間なので、要するに自分の気持ちにひとつずつケリを付けていった、、ということを表しています。

使徒は、作中では人類の別の未来と言われましたけど、これも自分自身の心の葛藤を表しているのでしょう。つまり、使途との闘いは自分との闘いです。

自分の言いたいことは3の次4の次の真意

庵野監督がインタビューで、「自分の言いたいことは3の次4の次」「お客さんのために作っている」と再三述べていたのが印象的です。
これは、表面上エヴァの本当の姿は見えないよ、ということではないでしょうか?
難解な用語の連発、エヴァや自衛隊などのメカ描写、過激な葛藤などの心理描写、さまざまなカメラワークといった「表面」の部分はすべて虚飾であってエヴァという物語の本質ではないと思うのです。

先に述べたようなACの心の葛藤をそのまま描いても地味だし面白くない。だから中心にある骨子を巧妙に隠しつつ、周囲をそれぞれの専門スタッフによって肉付けしていって、エンタメとしてのエヴァが出来上がっているんじゃないでしょうか。

虚飾とは?

全てが虚飾であるという裏付けは、エヴァの中に度々登場します。
最初のTVシリーズでも、シンエヴァでも、突然絵コンテが表示されたり、特撮セットの中になったり、電車の中になったりする場面があります。
これは一見すると「キャラの心理状態などを表す演出」のように思えますが、そうではなくて、
「あなたが観ているエヴァの肉付け部分なんてただの飾りだよ」
というメッセージだとは考えられませんか?

父に、ありがとう
母に、さようなら
そして、全てのチルドレンに、おめでとう

これはTV版の最後に出てくるメッセージです。何十年経っても、やはりエヴァはこのラストに帰結していますが、この言葉の正体は、あまり知られていないかもしれません。この言葉そのものは、ACを治療する際に使われる言葉なのです。

「父に、ありがとう、母に、さようなら」は産んでくれてありがとう、でももうあなたたち(毒親)はいらないよ、という意味です。
無償の愛に飢えているのがACですが、(愛をくれない)毒親を求め続けていると永遠にループから抜け出せません。
自分はもう親を必要とする歳ではないと自覚し、きっぱりと別れを告げる必要があります。

「全てのチルドレンに、おめでとう」とは、何かを成しえておめでとうではありません。生まれてきておめでとうという意味です。命は祝福されて生まれてこなければならない。ネグレクトされたシンジ君だって、生まれた時には両親から祝福されていました。

生まれてきておめでとう。だから産んでくれてありがとう。
もうわたしは親なしで生きていける。自分の足で先へ進める。自分の力で愛を掴める。

その気づきがAC解脱のキーワードになります。

宇部新川駅の本当の意味とは

いよいよこの話です。

シンエヴァのラストで、宇部新川駅が出てきて、実写シーンになりますが、なぜ宇部新川駅なのか?なぜ実写なのか?ということです。
ご承知の通りエヴァのメイン舞台は箱根にある第三新東京市です。
ラストだけいきなり山口県の駅を登場させる必然性は皆無で、「自分の言いたいことは3の次4の次」と言っていた監督が自己満で登場させるとは考えにくいでしょう。

ではなぜ故郷の駅なのかというと、それはエヴァの話自体が監督自身の話だからではないでしょうか。
庵野監督がACから解脱していき、最終的に14歳の子どもの皮をかぶった似非大人から、少しばかり成長し、愛する人(マリ=安野モヨコ)を連れて負のループ=列車に乗ってぐるぐる回ってる状態から抜け出したよ、ということを表していると考えられます。
つまり、最後の最後で「これは庵野監督自身の話だったんだ」と気付いてもらう意図で、実写の宇部新川駅になっている。
そう考えると完全に辻褄が合いませんか?

エヴァが庵野監督自身のACからの解脱の話だと考えると、「もっと続いてほしい」、「またいつか続編を」、ということはぼくは言いたくないのです。
監督、AC解脱できておめでとう。もう帰ってこないでね。
ぼくはそう言いたいと思うのです。

ぼく自身もACです

ぼく自身もACですから、ACのことは熟知しています。
そして庵野監督もACです。
エヴァはACの話です。
こうした事実をつなげていくと、どうもエヴァはフィクションではないぞ、と思えてきました。
監督自身のことを裏テーマに、表面をオブラートに包んだ作品としては『紅の豚』などもありますが、エヴァはもっと苦しみの渦中にいるというか、本当に血を流しながら作ったんだろうなという気がします。

素晴らしい作品をありがとうございました。

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