雑記:それでも私は、ボーイズグループに永遠を求めてる


アイドルが好き。
歌って踊るボーイズグループが好き。



良いことばかりあって欲しいけど残念ながら不穏なニュースも様々あって、そのたびに自分でも驚くくらい動揺して心が痛む。
それは、生きがいが推ししかないとか、いつか自分が結ばれることを夢見てるから、では、決してない。


…というかその方が幾分か健全なんじゃないか、とすら最近は自戒する。

私は多分知らず知らずのうちに求めている。
完璧で嘘のない、永遠に続く若さと友情。
自分の人生にはないそれらをボーイズグループの中に見るから、その綻びが見え隠れする時、本来自分の中にある痛みや絶望の存在に気づく。


ちょっと悲しいけど、
その分いつもありがとうね、なお話。


「部活的世界観」の投影と消費

大学まで体育会系の部活に所属していた私は、仲間である男子メンバーの日常を側で見ているのが好きだった。

周りの夢と期待を乗せながら身ひとつ躍動させて夢と希望に立ち向かっていくエースと呼ばれる存在たち。
自分を疑いながらも信じ続ける孤独と不安定さ、同じ熱量で努力する当人同士にしか成立しない友情とも違う絆。一瞬の表舞台の輝きのために重ねる地味な練習の日々を、内輪のユーモアで乗り越える関係性も眩しかった。(これなぜか男子同士特有の雰囲気なんだよね、なんでだろ。)

だけど、私や彼らの多くにとって、
その残りの人生は部活じゃない。
とても寂しい。切ない。

詰まるところ私はボーイズグループアイドルをそういう、「部活的世界観」をぎゅんっぎゅんに煎じてエンタメ化している集団として見ているのだ。


あたかも誰に頼まれるでもなく自らの夢のため邁進し、いつしかファンの夢そのものになって躍動する部活的世界観。もちろんアスリートもそうなんだけど、より商業的に昇華させ、エンタメとして消費することを許されているのがボーイズグループだよなと思う。


だから恋愛や匂わせは結構平気だけど、結婚の話が出ちゃうと「なんか違う」。それは「自分が結婚したかったから」じゃない。アイドルの活動が「夢」から家庭を維持するための「労働」へと定義されることとイコールに思えてしまうからだ。

ステージ上でのメンバー同士の過度な愛情表現。自然発生的に肩を組み、アイコンタクトを交わすインタビュー。対スタッフ(理不尽な大人の象徴)という構図で面白さが増すバラエティ。水入らずのバーベキュー後に語られる本音、というドキュメンタリーでのお約束な演出。
そんな場面にいちいち歓声を上げてしまうのも、すべてが「今の自分には、夢を追いかける仲間がいればいい」という宣言と解釈できるから。客観的に見たら絶対に異様だが、その世界観を信じてその夢の中にいる私にとってはそう思えるんだから仕方ない。


完璧が真実と永遠を担保するわけじゃない

この「部活的世界観」を信じる者にとってのトラップは、


こんなに尊いなんて…
→きっとこれこそが真実で永遠に違いない
という思い込みだろう。

アイドルたちの物語を追っていると「いやいやあなたたちは共に夢を追いかける運命だったのだね?!」と解釈が進んで進んで仕方ない場面に出くわすことが本当によくある。感情のキャパシティがいっぱいになるとき、ファンは横方向(周囲にある様々な憶測)、前後方向(現在だけでなく未来)といった尺度を持ち出して処理しだすのだ。その結果が、これ。

一人一人が自立しパフォーマンスの再現性が高いことよりも、不安定なエネルギーの中で見え隠れする個人の繊細さや、それによって強まる結束みたいなものにめちゃくちゃ完璧さを感じてしまう。しかしあまりの尊さに永遠を先取りしてるだけだと自覚しないと、後々裏切られた、真実じゃなかったんだ、なんて感じてしまう羽目になる。

「仲間と水入らず」な、無邪気で不安定な世界観にグループのメンバー全員がコミットし続けるなんて普通に考えたらありえないのに、だからこその世界観が尊すぎて永遠を感じさせてしまうんだよなあ。時間が進めば進むほど、水入らずを維持するためのパワーも話し合いも必要になるって、最近改めて気付かされた。なんてキツいパラドックスなんだ。


それでもボーイズグループに永遠を求めてる

今の私を端的に説明するとしたら自己実現に邁進するワーカーホリック。実際のところは「部活的世界観」より美しいものを今のところあまり見出せてなくて、仕事もプライベートでも大人になりきれず、年甲斐もなく青春の延長ボタンをだらだら押してそろそろ孤独を感じ始めている人間だ。


ここで冒頭に話は戻る。
永遠の若さや輝きなんてないとわかっているのに推しの尊さで無理やり蓋をして、でもそれすら永遠じゃないと気づかせられるようなニュースに触れる度、自分の中に本来存在していた痛みに気づく。

この人生の全てが僕が成すべき償いにすぎないとしても、」と歌うBTSの曲を先日ふと思い出して泣いた。青春の終わりをテーマにした名盤アルバムの最後に挿入された短い歌。
好き勝手生きるのはそろそろ終わり、この先は先取りした幸せを返済してプラマイゼロにしてください、そんな風に運命から審判をくだされていたらどうしようか。

それでも君は一緒に歩いてくれよ」とこの曲は続く。一緒だったら歩けるし、歩き続けようとする意思があれば、1人じゃないよって私は読み取りたい。思いたい。これまでがそうだったように、これからも。


ここからはどうしたらいいか一緒に悩めるといいな。思わぬような出来事に見舞われ、違和感や不遇をも直視しながら、リアルな永遠の形を探せたらいい。

歩き続けてくれ、推したち。
私も、歩き続けるからさ。
昔と比べて、躍動できなくても、情けなくても、誰かに忘れられても、必死の頑張りがなかったことになっても。

私が好きなグループはちょうどやや下の年代で、韓国にいる推しはそれこそ若さを示すリミットを迎えたり迎えようとしたりの真っ最中。関西にいる推しはちょうど先日「(永遠にアイドルを)やります!やらせてください!」と述べたと聞いて、なんかもう泣きそうになった。もう1人は深く頭を下げていたともあって、どんな感じか早く動画を見たいなと思う。


うーん……
結論はないんだけど、今日はこのへんで。

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