雑記:noteをやってて良かったな
早いものでnoteを始めて2年が経とうとしている。めちゃくちゃバズるとか、副業になるとか残念ながらそんなことは全くなかったんだけど、間違いなく自分にいいことがいくつかあったので記しておく。よ。
論理と感情。
2つに分かれたこれらは、場合によっては対立する、両立できないものだと私は長らく捉えていた気がする。皆が納得できるルールに基づいた論理(ロジック)に対し、自分勝手に現れては消える感情。社会人として適切に生きていくために、個人の感情は邪魔なものでしかないと思う事も多々あった。
でもそうじゃなくて、
と最近の私は思う。
なんていうか、
花火みたいなものなのだ。
パッと開いて目に見えるのが感情だとすると、遅れてドン、と聞こえてくるのが論理で。
感情は光のように速く、論理はその後に遅れてやってくる。本当は感情にもれっきとした理由が存在しているのだろうけど、あまりに素早く表出するからわからない。どうして嬉しいのか、悲しいのか、イライラしたのか、違和感を持ったのか。感情をゆっくりと紐解いてみると、自分の中に蓄積された経験に基づく、どこまでも自分固有の、でも確かな、ちゃんと説明できる論理に基づいていることがわかる。
伝わるかな。
感情と論理は二項対立ではない。
到達速度が違うだけで感情にもひとつひとつ論理が備わっていると捉えるなら、もっと自分の感情に丁寧に向き合ってあげてもいいよな。
私はもっと己の感情に近づける余地があるんじゃないのか?花火を近くで見ると、音がすぐ近くに聞こえるように。
このnoteは、推し活を題材としたたくさんの好きと尊いと、時々戸惑いや違和感といった様々な感情に近づいてみた私の報告で溢れている。
ありのままの自分を受け入れる、なんてできないけれど、ありのままの感情を観察し、表出する仕組みを説明しようとする力が付いてきた気がするよ。それはそのまま、自分への信頼に繋がっている。
大丈夫だからね、すべての感情は、時間をかければ説明できるからね。そういうものだから。そうやって自分を励ますこともできるようになってきた。
仕事においても便利なことこの上ない。
最近は特に誰かの資料や連絡事項を見て確認したり判断したり、という業務が増えたのだけど、読んでみて感じたちょっとした違和感に心の中で付箋を貼って、あれなんでそう思うんだろ?という思考をすることができる。そしてそれは多分結構物事を進めるにあたっての本質だったりする。
何度かやってる歌詞パワポにまとめてみましたシリーズみたいな構造化も好きなのだけど笑、文章はシンプルでどのメディアでも簡単に確認できるので、思考を書き起こす心的な負担が人より少ないことは結構強みであるなと思う。
心的な負担が少ない理由としては、主観的に自分の文章が好き、さらに客観的にもちゃんと伝わっているのかも、と少しずつ自信を得てきたことが挙げられるかな。自分が選んだファッションが自分でも好きだし人からもある程度受け入れられてる嬉しさ…みたいな感じ。
そしていかに自分固有の感情を論理化し他者に伝えるスキルが重要であるか、最近余計にひしひしと感じている。
イノベーション、という文脈で。
新しい価値を付加せねばという局面において、皆が納得する論理の積み重ねの先にゴールがあることは稀である。0から1を作るその材料は、ぶっちゃけ自分の中にしかない。いわゆるひらめきをいかにロジカルに説明できるか、他の人に共感してもらえるか、社会に浸透させられるか。どれだけ市場調査したって、環境分析して誰も反論し得ない論理を練り上げたって、自分が人生で蓄積してきた知見と経験に根ざす感情由来のアイデアの方が本来圧倒的に正解でしょ。もちろん客観的情報から仮説を着想したりまたそれを立証したり…というプロセスがあるんだけど。
それが自然にできる人はとんでもねえとこから新しいアイデアやコンセプトを出しているように見えるから、無敵だ。さっきの花火の話でいえば感情の後に到達速度が遅い論理が来る。ゆえに、
1.自分の意見を反射的に力強く宣言できるか
2.その根拠をなるべく早く説明できるか
3.全体の議論の進行の中で適切に表出できるか
この3つで会議のアウトプットは変わる。
自分の感情が正しいこと、それを証明すること、それらを当たり前のようにやり抜く自分への信頼がないとできない。「根拠はないけど、本気で思ってるんだ」とう歌詞があるけれども(レミオロメン)、全く本当に、その通りなんだよ。それでいいんだよ。
具体的な話がなくわかりづらいけど、企画、研究、戦略の仕事をしていてひしひし感じている。
欲を言えば、誰かの感情もまた、守れるんじゃないかなとも。
最近、頼りにしている人が行き詰まって悩んでいる、という場面に出くわした。
大丈夫です、きっと大丈夫ですから。
私は咄嗟にそう、口にしていた。
誰かの力になったり、寄り添ったり…なんて本来そんなキャラじゃないけど、誰かの感情の説明を紐解いて試みることはできるかもしれない。
うーん、それはできなくても。
私が大丈夫!って思うんだったら、その大丈夫の理由を探して伝えて、相手を励ますことができるかもしれない。私が大丈夫!って思える相手なら、その理由を形にして解決策にしていくよ。
そんな力と心意気も湧いてきた今日この頃なのです。
とはいえ。
好きに理由もロジックもないのかな、それとも人生をかけてわかる…みたいなスケールなのかなと思う事もある。
なんで好きなんだろ?はまっちゃうんだろ?っていろんな角度で考えざるを得ない、攻略したいのに次々と新しい思いに襲われて参っちゃう、そんな出会いもあるから人生は不思議で、本当に素敵です。
とりあえずnoteやっててよかった。
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