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さあ、二項対立を乗り越えよう(お仕事近況、キンプリ、きょろりゅちぇの話)

現代文の授業のとき、"評論の文章では、この構造を探しなさい"と先生が大きく黒板に書いた言葉、

二項対立。

誰かが何かを語ろうとする時、対比の構造がよく用いられる。Aに対するB。理想vs現実。過去vs未来。外vs内。正義vs悪。それぞれの立場を述べることで、対立を超える解決策を提言するのが評論文だ。

そんなふうに二項対立は考えを深めストーリーを生み出すドライバーになるから、現実でも私たちはしばしばこうした二項対立の関係を見出そうとする癖があるようだ。

例えば最近の私のお仕事の近況。
外部のパートナー企業様と協業をしているのだが、なかなかどうしてお互いの歩調をばっちり合わせることは難しいようでして。

私たちはこう提案したけど首を縦に振ってくれない。こういうことを言われたのだと、ついつい自分達vs相手の構造を作って被害者ぶってしまう。うちはこういう風に考えるけど、相手の企業文化ってこうじゃない。なかなか分かってもらえないよねえと。

それで後輩に言われてしまった。

"お互い、最終目的は同じはずですよ、
前向きに解決策を考えましょう。"

ああそうだ、そうだよ…。

対立構造を作れば自分の正当性や努力は説明しやすいが、それじゃ意味がないんだ…
対立の本質を見極め、それを解決することが大事なのに。



話は変わって。


キンプリの話なのだけど。
ベストアーティストで"脱退発表後初のステージです"とか言うものだから、そう言う目で見えちゃうじゃない。ああ、この2人はこれからも残るんだよな、この3人は…という二項対立的見方。


でもそのあとに披露されたTraceTraceを見て、そんなものすべて吹き飛んだ。なんだか久々に歌番組のパフォーマンスを見て震えた気がするよ。

TraceTrace、チルさ儚さの中の強さみたいなという楽曲の魅力に加え、かつニットにコートという衣装が舞台映えしてとても良くて。いやーよかったな。よかった(噛み締め)。

そのパフォーマンスに、これまでニュースで伝えられていたような残る組、脱退組なんて考える余地全然なかった。歌もダンスもやっぱり段違いに上手いなと思ったし、これまでのジャニーズグループの枠を超えた新しい素晴らしいオーラを放っていたよ。それでいて優しいキラキラ感を失わない絶妙なバランス。

そうなんだよ、最高のパフォーマンスでファンに喜んでもらいたい人たちの集まりじゃない。
どっちが正しいとか正しくないとか、もはや全然意味なくて、ただただこの5人が見れなくなる寂しさに襲われた。

そしてみんな頑張ってほしい。心から。

この平野くんグクに見えるんだよ〜いいのよ〜



最後のトピックは、きょろりゅちぇことなにわ男子の恭平くんと流星くんのお話。

この2人、ある軸で見れば明確な二項対立だ。
プロ意識の塊、アイドル意識が服を着て歩いている流星くん。一方で自然体を売りに、ともすればやる気がないと見なされてしまうこともある恭平くん。(参照記事:ありのままの自分でしかどうせ勝負できないから大西くんにはまる未来しか見えない)


一見2人は対極な存在に思えるし、小さな頃からアイドルを目指した大西プロからすると、特に最初はそこまでやる気がなかったと語る恭平くんの態度は結構嫌なんじゃないかと思われる。
少なくとも私は、どっちかというと優等生バカ真面目キャラだから、ああいう最強ナチュラルキャラ仲間にいたら嫌やもん。イライラしそうやもん。

ところがどっこい大西くんはそんな恭平くんの言動が大好きなのである。と、尊い…。

そして、この2人合わさるとめっっっっちゃ面白い。私の大好きなクレイジーな魅力が爆発する。

ギャル友とも言われる2人の掛け合いの魅力は、とにかく"ホットな"クリエイティビティ。

多分だけど、恭平くんの"ただ思いつくままに出てくる言葉、何が面白いかわからん次元の発言(失礼)"がいいのだと思う。

60%くらいの完成度ながらも、出来立てほやほやな彼の言動が、きっと大西くんは好きなのだ。そして、そういう未完成な面白さに熱を加えてどんどん面白く成形する過程を2人で楽しんでいるのだ。

ゆえに、恭平くんといると大西くんの面白さの手数が増える。彼の普段のズドンとくるセンスの良い面白さに、ポップコーンのように未完成の面白さが弾ける魅力が加わる。

一見相反する彼ら2人の、それぞれの性格が交わって生まれるクリエイティブ。

…これぞオープンイノベーションである。


…と、最近二項対立という概念に思いを馳せることが多々あったという話。

そもそもアイドルのコンセプトを見出すために(もちろん企業やプロダクトも)、二項対立の構造は大事よ。

関東に対する関西、がなにわ男子で、そこから生まれるアイデンティティがあることは間違いない。キンプリだったら日本に対する世界、だろうか?BTSだったら、ヒップホップに対するアイドル、かもしれない。嵐だったら、暗い現実に対する自分たちのエネルギー、みたいなものから始まってるかな。もちろんグループとしてだけでなく、各個人でもそういう構造はアイデンティティ確立の上で重要だ。(年上組、とかラップライン、とか)

でも、二項対立にばかり目を向けて自分を守ることに夢中になっちゃだめなんだ。でも人はしばしばそうなってしまう。

あの人はああで…自分はこうで…と悟った顔して愚痴るその前に、キンプリのパフォーマンスやきょろりゅちぇのホットなやりとりを思い出さないといけない。

意味のない二項対立に捉われないで、本来の目的に純粋に目を凝らせば、二項対立を受け入れた上に新しい未来を創造できることを彼らは教えてくれる。

BTSこそ二項対立、二面性のグループであるので
これについてはまた別途語りたい。

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