遺書

黒い、黒い沼にいつの間にか嵌り込んでいました。一体いつからでしょう。どうせなら、色の無い水槽に溺れたかった。いや、元は美しい池だったのかもしれません。そこに、徐々に徐々に黒いドロドロした液体を流し込まれて汚染されたのかもしれません。
私は、恵まれた人間だったのかもしれません。だから、全ての原因を創り出したのは私自身です。私は我儘でした。鏡の中の世界を、正常な世界だと思い込むくらいには、夢に溺れていた。夢幻泡影、儚い、秒針は一途を辿って、私に呼吸を、ただ呼吸だけを、最低限人間の形だけは為すように。私に感情があるとは思っていませんでしたか。ただ心臓を動かし、呼吸をするだけの、「存在」のみの人間だと思っていませんでしたか。泣きます。怒ります。喜びます。楽しみます。人を愛します。人を嫌います。殺意が湧くほど憎みます。そうして笑います。雨の日は孤独を一層感じます。幸福な人間が一番嫌いです。
それでも、食欲は湧いてきてしまい、朝は来てしまい、昼、夜、また朝が来て、当たり前のように生きる権利を得ます。そうして、無駄に息をして水を貪っている間に、この世界との契約を終了した人間が、多くの人間に悲しまれ惜しまれつつ去っていきます。私なぞは生きているのに。この世の不条理です。
黒い、醜い物体を、白いシルクで覆い隠すのは、至難の業でした。しかし、私はその能力に長けていたのか、今の今まで上手いこと誰にも悟られないように、雨の日も風の日も快晴の日も、美しい物体のように騙してきました。どれだけ雷を落とされようと、これだけは秘密にしておかなければいけませんでした。自らを鋭利な刃物で傷付けても。私自身が醜かったのだろうとも思います。
私がいなくとも、誰も変わることは無いでしょう。この文字の羅列は、遺す必要はありません。初めからいなかったかのように偽ればいいのです。そうしたら、いつの間にか記憶から抹消されましょう。偽りが事実に変わります。
実は、窓辺にずっと堕天使がおりまして。私には未練がありませんから、あと少し、身辺(と、それらしいことを言う)を整理だけします。

未練が無いと言いましたが、一つだけあるとするならば。
貴方が側にいてほしかった。

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