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終わりとは始まりか

引っ越しだ。

実はもう引っ越し荷物は、次の住まいに向かって走っていった。今まで住んでいた部屋はすっからかんで、スーツケースと最低限の荷物が適当に散らかった居室の横、台所とユニットバスの間の通路に座って、この記事を書いている。居室の照明はもうここにはないから、真っ暗なのである。今座っている場所なら、玄関の灯りがあるので。

これはこれで、究極にシンプルでいいかもと、少し思っている自分もいる。ものがあふれているということは、豊かさとは対極なのだろうか、今の時代では…。ま、外に生活インフラがある程度そろってないと、生活できませんけどね、これでは。

ま、前置きはこの辺で。

少し、関西でのことを書き残しておこうかと。ものすごく個人的なこと。

関西へ来た目的は、2つ大きなことがあって。

それがなにかとは書くつもりはないんだけど、1つ目は確か5か月程度で終わって、2つ目も2年もすれば大体終わった。

1つ目は、ここに来る前にほぼ終わりが見えていて、想定通りといえば想定通りに、終わって(終わらせて)いった。

2つ目は、途中から動く気力もなかった。大体が分かったし、いいかという感じ。

今思えば、あのときは無理矢理でもなにかを変えたかったのかもしれないとも思うけど、無謀すぎたし、あとからものすごく後悔した。自分でも本当にバカだったなと思う。

そんなこんなで今日、お店で夜ご飯を食べて、「もう多分、この道を歩くことはないんだろうな…」と、てくてくと家路につきながら、思った。

「ここへは最初から最後まで、結局終わらせるために来たんだな」

お仕事に関しても、今までの仕事は「終わった」感じがしているし。長年付き合ってきた疾患、アトピーも大阪で入院プログラムに参加して「終わった」し。いろいろな人間関係も始まったものもあれど、結局ほぼすべて「終わった」し。正直なところ、そう思わないとやってられないっていう気持ちもあるけれど。

一昨年に福岡に行ってるんだけど、それもその流れの一環だったと思う。

今は「あぁ、終わったなぁ…」って、しみじみ。「終わる」「終わらせる」ということにも、エネルギーはたくさん使うもんだね。割と今、自分の中身も空に近いかも。今いる部屋みたいに。

「終わった」ということは、「始まった」ということでもあるので。次の住まいでは新しいなにかがたくさん始まる…はず。それも自分のハンドリング次第。

今まで関西とかなりぼかして書いていたけど、住んでいたのは阪神間。大阪と神戸の間、兵庫でも大阪に近いほうで。

住む地域としては、お店もある程度そろっていて、少し足を伸ばせば有名な観光地もたくさんで、そういう意味ではよかったのかなと。結局、奈良や和歌山には行かなかったし、神戸もあまり好きではなく(悪い場所ではないと思うけど、個人的にあまりいい思い出がないので、足が向くことは少なめだった)、休みの日は大阪(梅田)と京都あたりをぶらぶらしてたかな。

京都にお散歩気分で出かけられていたのはよかった。京都、ほんのりだけど前よりは知ることはできたと思う。そう、最初は四条大橋で「これは鴨川っていうのか!」って思ってたくらいなんだけど。鴨川沿いをお散歩したりもしたなぁ。京都、少しの間住むのもいいかもねぇ…と思いつつ、今度の住まいは別のところ。

思ったよりもうまくまとまらずに、もやっとしながら。多分今書いておかないと、今後書くこともないと思ったので、残しておく。

さようなら。

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