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あの子は亡くなり、私は今も生きている。

私はHiroshi Watanabeさんという作曲家・DJさんを(今風に言うと?)ガチ推しているのだけど。

その方は以前、コナミのbeatmaniaという音ゲーに曲を何曲か提供していらっしゃる方(Hiroshi Watanabe名義ではなく、その頃は別名義がいろいろある)で。珍しく私の今住んでいる名古屋で、音ゲー系クラブイベントにDJとして出演されるということを開催当日(!)に知り、正直CDを持っていたものの、あまり聴けてなかった「beatmania - HIROSHI WATANABE - beat indication」(https://amzn.asia/d/0gD7lt07)を予習として聴き、会場に。

クラブイベントって、結構ジャンルによってまったく雰囲気が変わるのだけど、Hiroshiさんがプレイしてらっしゃるところしか居られない雰囲気😥(音と雰囲気が私の好みと合わず…)ただ、Hiroshiさんのプレイ中に「これはよいなぁ…」と思った曲があったので、帰ってきて検索して購入、今聴いてる、ファンの鑑😂

当時のHiroshiさんのことをあまり知らないので(私が彼を知ったのは2011年)、いろいろ調べてみたわけだけど。「…あ、私当時聴いてるぞ、この曲…」と思い当たる。Hiroshiさんがメインで曲を提供してるのが、調べてみるとどうやら2ndと3rd MIXあたりらしく。そのゲームがリリースされたのが、1998年。…あー…私行ってた、その頃ゲーセンに!

そう、リリースされた1年後の1999年の私、デザイン系の専門学校生だったのだけど。当時専門学校で知り合った友達がたまたま音ゲー好きで。その子と、もうひとりの子と一緒にゲーセンによく行ってた(ちなみに、今でもある名駅のコムテックタワー)。で、やったわ、beatmania。

まったくできなかったんだけどね!😅

beatmaniaもダンスダンスレボリューションもポップンミュージックも1曲目からさっぱりクリアできず…。「なんて難しいの、音ゲー…」って…😓その後、太鼓の達人はなんとかでき…って、それはいいや。

私はできなかったので、その子がうまいことクリアするのを眺めていたんですけど。そう、なんとなーく「『Deep Clear Eyes』が…」みたいな…そんなこと言ってた。言ってたよ。その曲、名義違えど(この曲はQuadra名義)、Hiroshiさんの曲…。

当時ニアミスってる!😲

…とはいえ、どうもそのあたりのbeatmaniaの曲、名義違うだけで、ほぼHiroshiさんつくってるらしい。一番最初のプレイ曲のアンビエントも、Hiroshiさんの曲っていう。…うん、聴いてた、聴いてたわ…(マジか…)。

あまりの自分のできなさに、音ゲーは完全に見てるだけで。ゲーセンによく行ってたのも、人生の中でそのときだけで。ちょっとでもできてたら、もしかしたらもうちょっと早く、Hiroshiさんの存在に気がついたの…かも。でも、あれだけ名義が違うと分からないよね…音ゲー系の人々はどうやってあの名義の数々から、Hiroshiさんにたどり着くのだろう…。

でもその後、まったくの別ルートでHiroshiさんと出会ってしまったけど。時間の問題だったんだろうなぁ…。Hiroshiさんが地道に活動してらっしゃったからこそ、なんだけど。ま、運命ってやつ?(ファンなので、なんとでも言える…😂)


で、当時のその後の話に戻す。その音ゲー好きの彼女、病気持ちでおそらくあまり先は長くないと言っていて…。私はいろいろあって、専門学校を中退。中退はひとりで勝手に決めたため(今考えると相当ひどいね…)、その友達とも交友が途絶え。

確かその1年半後くらいだったかな…彼女の死を伝えるハガキを受け取ったのは。

話には聞いてたけど…その子の死が受け容れられず。専門学校を中退した後ろめたさもあって、結局お線香もあげに行ってない。当時、まだ人の死がかなり遠いもののような気がしていたのも、あったのだと思う。

今でも現実感がないのだけど、あの長い黒髪に黒服が似合ってた、スラッとした容姿の彼女は、もうこの世の何処にもにいないのだ。

実はね、Mちゃん。今になって知ったんだけどさ、Mちゃんがbeatmaniaで遊んでた曲をつくった方と、その後私は出会ったんだ。話したりもするんだよ。なんか…すごくない?そんなことが起きるんだね、生きてると。

…そう、私は今も生きているのだ。

彼女は若くして空に還ったというのに、私は彼女の生きた人生の2倍を生きている…。

それがどういうことなのか、今もたまに考えてる自分がいる。生きている意味を。…神様しか知らないのに、その理由は。

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