「わたしには、もうなにもないよ。」

2,021年、肺がんが発覚し、
原因はストレスからだとも先生から診断を受け、即入院した。

ハードな治療の毎日暫くし、

それは春夏秋冬三ヶ月ある秋も終わり近い日だった、ここにいつかに書いた
あの秋の季節、だった。

余命宣告を受けた。

だから、大好きな皆んなに会いに行った。
SNSからdmを送ったり、
メールしたり、LINEしたりと、

特別な会いに行き方もした。

みんなには私の余命宣告触れず何も話さなかった。

話した事は、

何人かの男性へ、
「仲良くして欲しい。」
「仲直りしようよ。」だった。
もちろん仲直りは、私とではない。

久しぶりに、なんなら20年くらいぶりに、
会いに行った、話した人も居たのだから。

ある二人の男性のお話しだけしようかな。
そのふたりは、
親友なんか超えちゃってて、

女の子同士でもあるんだよね。
「何で〇〇ちゃん女の子に産まれたんや?」
て笑い合った。未知にもその懐かしい経験がある。

その二人は男同士お互いを、仲睦まじいを、
互いに恋人だとまでも話していた。
でも、ある大きな闇、ある男性の登場でも、
仲間さえでもなくなる事に至った。。
話すこともなくなった。
人生で色んなお別れもある。だから
新しい出会いもあるけど、

私は悲しくて話した、

果たしてこの場合、その理由、その事情はどうなんだろうと。。…...

それは必要なお別れとは到底思えなくて、

連絡して。と、
仲直りして欲しい。と、話してみた。
私が思った、
それは必要なお別れとは到底思えなくて、
その気持ちってとかは全て、を、話さずに。

話したら駄目だと思った、その話した方の男性に話したら行動に移すなら話したら、駄目なんではないかと判断した。

第三者の理屈や理性的な考えを細かにも、
大まかになろうとも、

それこそが身勝手に押し付け話し、
何になるのかとも思って、だった。
プラスにも相手同士の為にもならないとも思ってだった。

また

元の男同士の両想いにはならなかったよ。
でも挑戦してみないと、どちらかが真っ向から対峙してみないと分からないじゃん!
だから話してみて、良かった。
話してくれて良かった。
後悔先に立たず、昔の方の創られ建てられた言葉は、今の為に続いている。

後,2,022年、不思議な事が起きた。
わたしの余命宣告は、懸命に治療して向き合ってくれた医療に徹して下さった先生達だけではないはず、大好きな皆んなに会いに行ったからだよね、、

そして、わたしの余命宣告は、無くなった。
取り下げられた。助けられた。

今未知には、彼氏が居る。
涙をよく流す、
捕虜収容所の音楽詩を車中で流し聴いていた時、

今は亡き石牟礼道子さんの本の一節一節の魂が
コダマし、読みながらこぼれ出すなみだ、
水溜りあるからわたしに歩かせはしない、
しっかりと背におんぶして、

「さぁ!行きまひょう!」


ムラサキは、わたしの誕生石のお色。
サヨナラだってしない。する事がない。
わたしも彼を歩かせはしない、
しっかりと、背におんぶするから。
水溜りも、心模様雨の匂いも、好きや。


未知.

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