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長い時を経てわかるもの

「昭和元禄落語心中」というアニメを、最近プライムビデオで見ている。落語には詳しくないし、あまりピンときていなかったんだけれど、レビューがいいのでなんとなく。物は試し、と見始めたのだった。

すぐに、人気の出るのがわかる気がした。絵も綺麗だし声もいい。ストーリーもなかなかにドラマチック。何より「落語をまったく知らなくても楽しめます」と書かれていたあのレビューは、たしかだったなあと。落語なんてまったく知らなかったし興味もなかったのに、ふと「寄席ってどこにあるんだろ」なんて検索してしまったもんね。(うそ、仙台にあるじゃん! と、驚いたのはまた別の話)

芸事に疎いわたしでも、あれらが何年も、何十年もかけて身につけていく技術だということは知っている。アニメには、そんな世界の中で、子どもの頃から成人後までずっと「自分に落語は向いていないんじゃないか」と悩む人物が登場するのだ。

悩みながらも真面目に稽古を続けるけれど、やればやるほどに空回ってしまう自分。隣には、遊んでばかりいるくせに技術も人気もある親友。そんな人物の憂鬱に、つい自分を重ねて見てしまう。

いまはとにかくスピードを求められる時代だ。落語の世界ならばいざ知らず、「まずは10年」なんて言われたら「ええぇ……」と変な声が漏れそう。けれどやっぱり、早く・速くばかりではわからないこともあるんじゃないかと思う。長い時を経てわかること、見えるもの、そういうのもきっとある。

わたしはのんびりやだから、スピードばかりを求められる世界は息切れしちゃうんだよなあ。もっと「ゆっくり、じっくり、丁寧に」が、大切にされてもいいと思うんだけど。

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