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世界は醜く、美しい

ものごとなんて、見方によってぜんぜん違って見えるのだろう、と思う。

わたしは見る人が見れば単純で、ちょっと頭が悪い。そんなふうに見えるタイプなのだろうと思うけど、だから今こうしてわりと楽しく生きているんじゃないかな、という気もする。

最近の話ではないけれど、わたしは女であるために、男性からそれはそれはひどい仕打ちをされたことがある。一人ではなく、別のタイミングで何人か。それも、みんなわたしのとても身近な人だった。

と、いう話を聞いた別の男性が、「そんな思いをしたのに、よくまた男とつき合えるね」と言ってきた。暗に「おかしいんじゃないの?」という含みをもたせて。

同じ経験をした女の人が、いわゆる男性恐怖症になってしまっても不思議ではないと思う。でもわたしはそうはならなかった。たしかに、今でも男性を怖いと感じる瞬間はある。力では決して敵わないことを、身をもって知っているからだ。

ふだんどんなにニコニコしている男の人だって、何かのはずみでスイッチが入ったら、わたしのことなんか簡単に壊してしまえるのだ。それがわかるから、怖くない、とは言えない。

それでも、男の人みんながみんな、そんな恐ろしい生き物ではないはずだ。だからわたしにとって、「ある男性からひどいことをされた」と「他のある男性を好きになる」はべつに矛盾しない。一方で、「ある男性からひどいことをされた」と「男性は怖いから嫌いだ」と感じてしまった人のことをおかしいとも思わない。

同じものを見たって、隣の人が同じように感じるとは限らないじゃない。それを「お前はこう思わないのか、おかしなやつだな!」と責めるのは、どうなのかと。

もっと言えば、そのときの気分にだって大きく左右される。嫌なことがあったときに「ああ、人ってやつはなんて醜いんだ。こんな醜い世界なんか滅んでしまえ」と思ったとして、次の日いいことがあれば「いややっぱり、人も捨てたもんじゃない。そういえば、今日は空がなんだか美しく見えるじゃないか」と感じたって、べつに不思議じゃない。

それでいいじゃん、と思うんだけどな。

※ずいぶん前に下書きに入ってたもの。追記編集してアップしました。

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