人類みんな、ナントカ教に入信している
今日は最近思ったことについて。
営業の仕事をしていると、ネットワークビジネスの人と、宗教の人にめちゃくちゃ出会う。
人から嫌われる、友達いなくなるもの代表としてネットワークと宗教がよく言われるわけなんだけれど、
なんでみんな嫌いなんだろう?
わたしたちだって、いいと思ったものは他人に薦めるよな、その違いってなんなんだろう?と疑問に思った。
わたしも営業の仕事をしていて、自分の扱っているものはいいと思っているからこそ、人の役にたつって信じているからこそ、営業するわけで。
たとえばふだん友人に服のブランド、ケーキ屋さん、好きな居酒屋を勧めることもあるわけで。
そこにどんな違いがあるんだろう?って思うのだ。
うーん?
そこにお金が発生するから?
でも宗教の人は別に信者増えてもその人に収益発生せんよな…と思うし
ネットワークビジネスも、買う人もやる人も納得してるならいいんじゃない?と思ってしまう。
何が違うんだろう?
ひとつあるとしたら、「こんなに素晴らしいものを知らないなんておかしい!!」という勧めかたをする場合かな。
盲信的というか。それ以外は受け付けません、みたいな柔軟性のなさが嫌われる所以なのかもと思う。
信じるものは救われる。
これは真実だと思っている。
拠り所があるだけで人のメンタルって大きく変わるし、メンタルだけで物の見え方って激変するから、別にその人が幸せならなんでもいいと思う。
わたしは明太子大好き教だし
人は読書すべき教だし
自分の仕事で扱ってる商品は必要である教だ。
みんな何かを信条にして生きている。
ナントカ教の教徒なのだ。
自分の人生でつくりあげてきた物差しで物事の良し悪しを決めて、その物差しで物事を測っている。
時にはわたしの物差し、素敵でしょと自慢するのもいいかもしれない。
自分の信じている物を人に伝えるのは、決して悪いことではないと思う。
ただ、それを信じる信じないの決定権が相手にあることは忘れてはいけない。
みんなそれぞれの物差しで、測れる世界を見ている。見たい世界をみている。
自分の見ている世界が素晴らしいと思う傲慢さは捨てるほうがいいと思うのだ。
そのほうが、視野が広くなるから。
わたしは広い目で物事を見れる自分でいたい。自分が持つ物差しは、ソフトボール投げの結果測るやつぐらい、でかいメジャーを持っていたいと思う。
こんなことを考えれるようになったのも営業の仕事を始めてからだ。
つくづく転職して良かった。
なりたいわたしに近づけていてとても嬉しい。
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