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からだの声を聴く。

心はお空の雲のよう。流れるままに眺めてみる。

朝から濃い灰色のくもり空。一雨来るのでは?と空を牽制しながら歯磨きをしていた。換気扇の唸り声に混じって微妙に雨音を感じる。おや?とキッチンの小窓を覗こうと洗面所を出るとムッとする湿気を含んだ雨の匂い。干したての洗濯物を急いでしまう。空模様や風の吹き方で天気を読んでいた先人たち。さぞかし五感が繊細だったに違いない。わたしなりに微妙な感覚をキャッチできたことを小さく喜ぶ。うん、生きてる、を実感するひととき。

月に一度のお体メンテを受けた翌日に調子を崩す。体からの反応とも言えるし、心が生み出す想像上の痛みとも言えるような。ジャッジはひとまず置いておくとして。目の奥の洞穴から重く響いてくる疼きとともに1日を送る。クライアントへの施術も無事に終了。友人からの電話を待つ。ずーっとリモートワークで気持ちが沈みがちなんだ、ちょっと話を聞いてよーのリクエストが入っていた。数日前からだんだん気持ちが上向いてきたよ、と彼女。声を聞いてもらうこと以上に助けて!と言えることで気持ちがラクになることもある。梅雨くらいが底辺だった、というから随分一人で頑張っちゃったんじゃないかな?遠慮せずにSOSの旗はちゃんと立ててよーと告げる。占めて1時間20分の長電話。あっという間だった。

帰り道の電車の中から、首肩がかっちりとしてくる。見えない何かに技をかけられているのでは?という硬さと重さ。このご時世、体調に変化が出ると違う意味合いでもヒヤリとする。病に伏せるのは自分だけの問題じゃない。もしも、の時のことを考えると余計に体も心も強張ってくる。こんな時こそ、深い呼吸を。早めにお風呂に入って、Spotifyを聴きながらゴロゴロ横になっていたら欠伸が出てきた。何度も何度も。涙がダラダラ流れてくるほどの連続っぷり。あぁそうか。わたしはゆるみたがっていたんだ。暑さとマスクに覆われて、エネルギーの大量消費を防ごうと、ひっそり呼吸をして過ごしていた数日を思い出す。ごめんごめん。体からの声に気づけたら首肩が少し軽やかになってる。こういうのってホントに不思議。翌日は元通り。いつものヨガとストレッチでゆるゆると朝のルーティンを迎えられる幸せよ。

さぁ、お昼。夕ご飯の残りの豚丼の具になすとピーマンを炒めてペンネと和える。なすを手にとったらうっかりヘタの棘をつかんでしまい、ひゃっと驚いてしまった。スーパーで売られている野菜でも、こんなに刺々しくいられるキミは強者だ。棘に刺さったままの親指に気づかずに調理を続行してたから2度目の激痛にうなだれる…。味は生活クラブのケチャップで整えてみた。うむ、美味しい。でもお腹が空かない。ので、夫のみにサーブ。息子は遊びに出かけていった。動ける体はありがたい。

からだの声を聴く、とは。自分が感じていることを正直にキャッチしていくことだと思う。正直さ、がポイント。元気じゃない、をちゃんと自分がわかってあげられながら、その時々でできることをする、というのは無謀でも無茶でもない。ふりをして誤魔化すことが習慣化してくると、今感じていることがわからなくなる。ちゃんと聴いてあげる、ができることは健康につながる。そう、わたしは信じている。




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