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その先の笑顔にあいたくて。

ふらりとお花屋さんに立ち寄りたくなるときがあります。買うために…ということももちろんありますが、お花と出会うことで自分を元気づけに行ってるような感覚のほうが強いかもしれません。

昔「オーラの泉」という番組がありました。(覚えてますか?笑)どんなにお花や観葉植物を置いてもすぐに枯らしてしまうというゲストに対し、美輪明宏さんが「それはあなたが疲れているからよ。あなたを元気づけようとして枯れちゃうのよ。」と仰っていたことが今でも脳裏にこびりついています。

「そんなことあるの?」という思いと「わからなくもない」の思いの交錯。自然がもたらすパワーの果てしなさに思いを馳せたものです。

🧍‍♀️…

そもそも、自然と人間って別種のようですが、かなりレンズを引き目でみるならば。ひとりひとり、ひとつひとつの存在がそれぞれの命をもってこの世を生きている、いわばお仲間な関係です。

命の危機にさらされているものを何とかしてサポートせねば!という生命本来の働きが、植物→人間にも作用するのは自然なことなのかもしれません。

農家さんがお野菜や果物、お花にクラシック音楽を聴かせたり、愛情もって話しかけてあげることで作物たちのお味や美しさにも磨きがかかる、なんてお話も聞いてて心がほかほかしてきます。

お互いがお互いを愛でながらともに味わい深く成長していく姿からも、癒しのベクトルって与えるといただくの関係で1セットなんだなとつくづく思います。

お花屋さんの例でいうならば。お花はいただいても嬉しいし、差し上げても喜ばれる→嬉しい。そんな笑顔の橋渡し役をしてくれるお花屋さんの存在はありがたいし、お客さんの手もとに愛情たっぷりに育てたお花が届けられる農家さんも嬉しいはず。

お花屋さんにちょっと立ち寄ることで元気になる(ような気がする)のは、お花たちがここまでよくぞ元気に美しく咲いてくれたということや、わたしを含むたくさんのお客さんの目に命の輝きを映し出してくれることにあると思ってます。

🧍‍♀️…

こういう連鎖を思い浮かべると、ついつい思い出すのが今させていただいてる仕事のこと。施術ってひとさまに「術を施す」と書きますが、それは手技だけに限ったことでは全くなくて、優しさなり労りなり元気になってねという思いが、手を通してからだに浸透していく、ということでもあるのです。

元気になった目の前の方の笑顔がわたしを嬉しくさせる。元気になった方がおうちに帰って家族に元気な姿を見せることでご家族も笑顔になる。笑顔と健康の連鎖が、セラピスト⇄クライアントの関係を超えてさらにその先の誰かの喜びや元気につながっていく。

そんな連鎖を美しい花々からも垣間見れる気がしてしまうのは、私の多大なる妄想が為す壮大なイメージに過ぎないのかもしれません。それでも花を通して癒し癒される関係について思いを馳せながら、誰かの元気がその先の誰かの笑顔を支えてるって思えると…やっぱり心がほくほくせずにはいられません。

お花だけでなく…生きとし生けるものに与え与えられる関係性や、生きつ生かされてる生命の本質を自らの中にもちょっとずつ見いだせるようになりたいです。

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