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夢の中の空

その日、八王子の父のアパートに帰宅すると昼間からお父さんがいた。アパートは3階建てで、ドアは黒かった。彼は酔っていなかったし、仕事に行くときの格好(つまりよれよれのチェックのワイシャツ(濃紺)とチノパンに黒いベルト)をしていた。母が倒れたと言って、わたしたちは府中の病院に車で行った。わたしは父の、静かで几帳面な運転が大好きだったので、そのトヨタの助手席に座ることは幸福の象徴だった。宮城ナンバーの銀のカローラ。そのあと、病院が満床のために母は別の病院に輸送されることになり、わたしは母と一緒に救急車に乗った。何故かもう父はそこに居なかった。わたしは簡易ベッドの左側の、冷たく黄ばんた白い椅子のような突起に座っていた。救急隊員が、お母さんの生年月日と名前は分かる?とわたしに聞いたので、生年月日は分からないけど35歳です、と答えた。救急車に乗ったのは生まれて初めてだなと考えながら、細かい、機械のようなものを見つめてしばらく揺れていた。少しすると、年齢が違う、とふたりの救急隊員が言っているのが聞こえてしまった。お母さんは本当は42歳だった。彼らはそれ以上わたしに何も聞かなかった。そうか、嘘だったんだ、とわたしは思った。

なぜ突然このシーンを思い出したのかと言うと、いま、フーコーの『ピエール・リヴィエールの犯罪』を読みながらハンバート ハンバートを聴いているからだ。綺麗な声と、死を崇拝する歌詞がこんな日によく似合う。大雨。母は、病院に運ばれる前にハンバードハンバードの曲を聴いていた、という理由でその人たちの歌を聴かなくなってしまった。わたしは彼らの曲が好きだったので、少し寂しかった。母はこういう、ゲンを担ぐような、呪いを恐れるそうな、信仰を好むひとだった。わたしはそこが好きじゃなかったけれど、彼女の音楽の趣味は良かった。彼らの詩をまた聴いたとき、わたしは二十歳を超えていて、母のことも、嘘をつかれていたことも、心底憎んでいた。ピエール・リヴィエールは母親を憎むあまり殺す。フーコーはそれを狂気の研究に利用したが、それは狂気なんかじゃないとわたしは思う。音楽は気を散らし、娯楽につきものである ”過去の記憶の回想" の機会を我々に恵んでは過去に現実にとわたしを運んでゆく。外はまだ雨で、わたしは顔を上げ、忘れないうちに書くか、などと思い、手を留める。折った頁に吹き込んだ雨の染みがついた。

父の平安と幸福を乱している母を生かしておくなら、それは正義ではない。けれどもなお、父のことが心配でした。私が見るに、父は私ほど崇高な考えの持ち主ではないので、この出来事に会ったら、自殺しないか、という心配があるのです。

M・フーコー『ピエール・リヴィエールの犯罪』3手記より


八王子の、父のアパートでその年の冬を過ごした。そこは3階建てで、階段は黒ずんだコンクリートだった。父の手料理はこの世にただひとつで、それはベーコンとじゃがいもの醤油炒めだった。塩味が強くて、何を食べているのか分からない。その冬は、なんどもその幸福の味を食べた。父はそれをつまみに焼酎を開ける。ところでわたしは仙台から来ていたので東京の冬が暑くて仕方なかった。朝の、アパートを出たときの、ただ「冷たい」とだけ思った感覚を強く覚えている。それが「寒い」になるのに数年を要した。2月の一番寒い日も白いTシャツと、ユニクロのフリースを羽織っただけだった。そのフリースは迷彩柄で、少し丈が短かったのが気に入らなかったが、ワインレッドのランドセルと合っているな、と思っていた。そのとき両国に住んでいた祖母がしばらく来てくれて、ショートケーキとか、デパ地下の惣菜だとかを買ってきてくれた。その頃わたしは小学生にして、人生で偏頭痛が一番酷く、そのショートケーキで頭痛が悪化して吐いた。そのあと何年か、生クリームが食べられなかった。もう寝なさい、と祖母が言った。

そのアパートの近くに住む知らないおばさんが、子猫をくれた。メスだと聞いていたけれどオスだった。そのネコは白地に茶色のトラ模様が入っていて、最初のうちはずっと泣いていて、頭が良いネコではないな、と初めて会った日に思った。数ヶ月すると彼はわたしの膝にしか乗らなくなり、体育座りをすると無理矢理膝と上体の間に体をねじ込んでくるようになった。わたしはまた転校したけれど、ネコは一緒に来てくれた。彼が可愛くて可愛くて、よくキスした。不器用な動きをする曲がった尻尾が愛しかった。わたしは、父もネコも愛していた。いま、彼らはわたしの居場所さえ追えない。


弟(を殺したこと)に対しては次の二つの理由がありました。一つは、弟が母と妹を愛していたからであり、もう一つは、もし私が弟を除いて二人しか殺さなかったとすると、父は私の行為を恐れるにせよ、後で私が父のために死んだことを知ったら、私のことを心残りに思うのではないかと心配したからです。私は父がこの利発な弟を愛していたことを知っていました。父は私をひじょうに恐れるだろうから、そのために私の死を喜び、私の死を悲しむこともなく、前より幸せに暮らすことができるでしょうから。

M・フーコー『ピエール・リヴィエールの犯罪』3手記より


そこにあるのは愛に見える。わたしは皮肉にもこの殺人鬼を愛したいとさえ思う。

この文章を書いたあと、わたしはまた文字を追うだろう。線を引き、頁の端を折るだろう。休日の湿った暗い部屋で、帰りを待ちながら。


【余談】
八王子、といってもそこは京王相模線の各駅しか止まらない小さい街で、八王子駅のほうではなかった。ドン・キホーテもブックオフも小さかった。

読書は幸福。
自分の記憶力に引いている。


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