朝井リョウさん『正欲』を読んで。

 この本の中で一貫してあるフィロソフィーには、浅田彰さんが『構造と力』で残した「ノリつつシラけ、シラけつつノる」と共通する部分が見られた。人間は社会の構造によって生かされていると考えるのが「構造主義」であるが、浅田彰さんは、構造主義における象徴秩序に組み込まれていないカオスな部分が人間の社会にはあると述べている。そこに焦点を当てているのが本書であると感じた。私たちは最近よく多様性という言葉を耳にしたり、実際に使ったりしているが、その「多様性」という言葉自体も、象徴秩序の枠の外には出ず、カオスな部分については「多様性」が認められていない。でもそこは確かに存在している。

私たち人間は、社会的な動物である以上、決められた構造/象徴秩序の中にいると安心感を得るようになっているのかもしれない。本書で登場した、構造の中では「多様性」という言葉をもってしても認められていない特性を持つ人は自然と構造の外にいることになるのだが、これはすごく不安で怖いことである。自分が象徴秩序の外にいることを自覚しつつも、「明日死なない」ためになんとか構造の中に入ろうとする。けど、完全には足を入れない(足を入れることができない)。この点が、上で述べた「ノリつつシラけ、シラけつつノる」と共通しているように読むことができると感じた。確かに、私たちが今生きている社会は完全ではない。だからと言ってその社会を否定し、属することをやめるのではなく、不完全と知りながらも、「明日死なない」ためにそこに属しておくことも大切であるのかもしれない。

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