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薄音川

思ってもいないことを言わない事にした

これが存外、音川には難題だった

18から見習いとして医療の端っこではたらくようになり、医療=サービスという概念をたたきこまれた。先生様でなく患者様。18歳の音川は、それはもう仕事に溺れた。音川の仕事は、結果が目に見えて喜んでいる相手も見れてあまつさえお礼まで言ってもらえるという素敵ジョブだ。承認欲求がみたされまくり、若い音川はふるえた。結果が出ないと本人から直接なじられたりもするが、それすらガソリンだった。休みなんか要らない、W.O.R.K これが働くということなのね!ご指名喜んで!

そんな数年を経て、開業した。医療系愛されサービストークに慣らされまくった音川は、はやくも壁にぶちあたる。私の言葉には心がない。嘘などついていないのに、相手を喜ばせようとすらすらと口から出てくる言葉はどれも自分の耳にさむざむしかった。雇われているときはこれも個性としてありだったのかもしれないが、自分ひとりの看板でこれは痛すぎる。しかしどうすればいいのかまったくわからなかった。口は勝手に動くし、言葉が上滑っていくのがわかるのにとめられない。この厚みのなさを見透かされているだろうことが怖かった。相手にうけることばかりを追いかけて、芯もなくうわっつらでここまで来てしまった。深い話はせず、毒にも薬にもならないポジティブっぽいことをその場に合わせてただ口走るだけ。相手の喜ぶ相槌と口先だけの共感を垂れ流す日々をどうすれば。どうしたい。自分ってどんな人間だった?

そんなペラい音川のぼやきを聞いた姉は、そもそもさぁ、仕事中そんな喋らないかん?と言った。口数減らしたら単純に嘘も減るんちゃう。

そうなのよ。しっくりきた。音川嘘つきだったの。

そこから音川の音川による音川矯正がはじまった。うっすい無駄なロングトークかますのを舌かんでこらえて、心にもない相槌やサービスものどで潰して耐えて、盛らない100%の本心を発信する。沈黙を埋めるための中身のない小話もいらんいらん。ちなみにこの闘いは現在進行形だ。まだまだ癖に引っ張られるものの、口数に比例して、自分と言葉が乖離していくあの違和感はだいぶなくなってきている気がする。そらそうだ、漫才だってコントだって、100%フィクションならきっと笑えない。そこにちゃんと「自分」があるから、安心して笑って感動する。自分と自分が発信するものの誤差はなければないほど自然で美しいのだ。そんな当たり前のことに、2、3周してやっとたどり着いた音川。そしてまだ道の途中―…


ねえ、これなんの話?



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