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奥八田めぐり#1_地域のために学びを力に。中村幸夫さん


兵庫県美方郡新温泉町の山間部に位置する奥八田地域は、人口約400人(約190世帯)の人々が暮らし、住民の4割が75歳以上という高齢化の進んだ所です。令和5年版(2023年)内閣府発表の高齢社会白書によると、日本の総人口における75歳以上人口は15.5%、約50年後の令和52年(2070年)には4人に1人(25.1%)が75歳以上になると予測されています。高齢化率世界一といわれる日本において、奥八田地域はトップクラスの高齢化地域といえます。言い換えれば、日本の最先端をいく奥八田地域の暮らしは、世界の未来予想図。果たして明るい未来は待っているのでしょうか。同地域の住民の方々の暮らしぶりや考えを伺いながら、”希望の光”を探していきたいと思います。

奥八田地区の道先案内人 中村さんの経歴

今回、お話を伺ったのは、奥八田地域の7集落(岸田・海上・前・田中・青下・石橋・霧滝)のうち、前地区に住む中村幸夫さんです。私が100DIVEというプロジェクトに参加した際、NPO法人上山高原エコミュージアムの代表として、ひときわ熱心に地域のことを教えてくださったのが、中村さんでした。(その後、2023年5月に同代表を卒業されています。)
現在、76歳の中村さんは、奥八田に生まれ育ち、豊岡農業高校を卒業後、自治体職員として59歳まで勤務されました。公務員時代、企画観光課に所属していた際は、新温泉町と地域住民を株主とするスパリゾート施設、リフレッシュパークゆむらの企画整備に携わり、初代館長も務めていました。
退職後は、古代史好きということもあり、縄文・弥生時代の古墳や寺について学ぶために、奈良大学通信教育部の文化財歴史学科で古代史を専攻。卒論のテーマは、「四隅突出型墳丘墓」だったそうです。

生まれ育った前地区の思い出

前地区の思い出について伺うと、「冬場の3~4か月間は小さい頃は楽しかったけれど、大きくなってからは雪との闘いだった」と答えが返ってきました。奥八田地域は豪雪地帯であり、多い年には3m近くの積雪を観測するほどです。今でこそ、地球温暖化の影響か、積雪量が少ない年もありますが、数十年前までは相当、雪深かったものと思われます。
中村さんの幼少期は、奥八田地域の男性は杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)として近畿圏をはじめ各地の酒蔵へ出稼ぎにいく人が多く、冬季は女性や子どもたちが近隣住民同士で助け合いながら、冬を越していたそうです。冬季の買い物はどうしていたのかと伺ったところ、行商売りの人が海に面する浜坂地域などで獲れたカニなどを売りに来て、お米と物々交換をしていたそうです。時代を感じさせるエピソードですよね。
また、奥八田地域は昔から農業が主要産業であったため、農耕用に耕作牛を各家庭で飼育するのが一般的。どの家庭にも牛を飼うためのスペースが玄関横にありました。今回、お話を伺った中村さんの書斎も、昔、牛を飼っていた場所をリフォームされたそうです。
中村さんが小学生だった頃には、家のお手伝いとして牛を近くの放牧場へ連れていき、草を食べさせに通っていたそうです。奥八田の海上(うみがみ)、青下(あおげ)といった地域の耕作牛は餌場として上山高原へと連れて行かれていました。また、上山高原のススキは冬季間の耕作牛が食べる干し草や茅葺屋根の材料としても使用されるなど、まさに奥八田の人々の暮らしを支える高原でした。そのため、地域の人々によって定期的に山焼きが行われるなど、高原の手入れがなされていたそうです。

ススキの穂が輝く上山高原

後世に残したいものは自然資源。そのためには郷土学習が大切

奥八田地域の良いところ、後世に残していきたい風景について尋ねたところ、中村さんは、上山高原や扇ノ山(おうぎのせん)といった地元の自然資源と答えました。
新温泉町の社会福祉協議会理事を過去10年に渡り務めておられた時に感じたこととして、「新温泉町の子どもたちと接する中で、上山高原について知らない子も多かった」そう。だからこそ余計に生活文化として残せるよう郷土学習の大切さを指摘されています。
そうした学習を広める拠点として役割を果たしているのが、上山高原エコミュージアムです。同NPO法人は、上山高原および周辺の自然再生を担うとともに、一般の方向けに自然体験プログラムを年間を通じて開催しています。さらに、地元の小学生を対象とした山登り遠足に協力するなど、地域のシンボルである上山高原について郷土学習や自然環境保全の重要性を語り継いでいます。

これからの奥八田地域に必要なこと

中村さんご自身は、今後10年を見据えて「今、手を打っておかないと、急速に地域の過疎化・高齢化が進み、衰退する」と危機感を募らせていました。そうした想いが根底にあるからこそ、100DIVEというプロジェクトを通じて、私たちのような地域外の者にも課題を共有し、解決の糸口を見つけたいと思われていたのだと改めて感じました。
一方で、課題解決に向けては、「今、地域に住んでいる人が何かをしなければならない。そのためにも地域の人が交流する場を作りたい。」と地域住民自身による行動の大切さを語ります。それは、前村の高齢者は元気な方が多いものの、地域の急速な高齢化を実感する機会が増えたためです。
誰しも慣れ親しんだ土地や家が住みやすいというのは容易に想像がつきます。けれども、都会と異なり、病院や買い物に行くにも車が必要な地域特性であるため、年齢を理由に免許を返納してしまえば、たちまち交通弱者になってしまいます。さらに、体調を崩してしまうようなことがあれば、どんなに住み心地の良い家でも、同じ生活を継続することは難しくなります。中村さんとしては、「老々介護の問題も含めて、高齢者同士による共同生活の場があると良い」と熱く語りました。

こうした考え方は、職場結婚された中村さんの奥さま、すえ子さん(73歳)の影響が強いようです。すえ子さんは、自治体職員として働く中で、24歳当時、家庭奉仕員と呼ばれる福祉関係の職務に携わるようになりました。すえ子さんは幼少期、お母さまに連れられて地域の高齢者を訪ねては、労りの気持ちで接する様子をたびたび目にしていたそうです。こうした経験が福祉への想いへとつながりました。すえ子さんは、”介護は嫁の仕事”といった価値観やしばりを打破するために、長年、福祉分野で取り組まれてきました。1987年に成立・公布された「社会福祉士及び介護福祉士法」を根拠とする国家資格「介護福祉士」ができる以前から兵庫県内で同様の制度発足に向けた活動を行っていたそうです。また、1994年には一般社団法人兵庫県介護福祉士会の初代会長も務めておられました。すえ子さんは、物静かな語り口で、「一人では生きられません。だからこそ、声をかけることが力になるのです」と信念を語ります。現在は鳥取県まで手話を習いに行っているそうですが、その理由をすえ子さんは「手話の学びを通じて立場の違う方、当事者の気持ちを知ることが大事」だからと語ります。

急なお願いにも関わらず、お話をいろいろ聞かせてくださったすえ子さん

中村さんは社会福祉協議会の理事時代にも、福祉現場を知るすえ子さんから教えられることが多かったと振り返ります。そんな風にご自身のパートナーに対して尊敬の気持ちを語る中村さんは、照れくさそうでしたが、お互いを認め合い、人間性を高めあってこられたお二人の姿は、本当に素敵だと思いました。現在はご夫婦で、週1回、高齢者の集いの場を地区で開催し、手話ソングを取り入れながら地域福祉活動に取り組んでいるそうです。超高齢化社会を生き抜いていくには、中村さん達のような共助の気持ちが鍵になりそうです。

結び

今回、お話を伺ったときにご馳走してくださった干し柿は、中村さんご夫妻の手作りでした。自然の甘味が表面に染み出した干し柿は、お世辞抜きにこれまで食べた中で一番、糖度が高く、とっても美味しかったです。
この干し柿は、昨年、約600個の渋柿を収穫し、ご夫婦で夜なべをして加工されたそうです。皮を剥くだけでも相当な労力だったかと思います。共同作業の中から生まれる連帯感と自然の恵みが詰まった美味しい食材。こうした日々の積み重ねが、超高齢化社会の中で楽しく暮らす術なのかも知れません。今年の干し柿づくりには私も参加させていただきながら、人間力を磨くコツを学べればと思っています。

手作りの干し柿 自然の甘味が染み出して最高に美味!

◎自己紹介記事はこちら


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