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スカイがいてくれた意味

母が胃の調子が悪いと言いはじめてから1週間、12月2日、母の顔が黄色いことに気づく。黄疸、母の身体によくないことが起きてるのは、明白でした。母は今までとても健康で、膝痛や腰が曲がってきたと行っても、私が仕事しているときには、朝晩スカイの散歩をし、家のことをしてくれていました。当然、入院などしたことがなく、医者も嫌い。年一の健康診断もサボりがち。母もですが、私も母の健康であることを過信していたことは否めない。

近所のクリニックから紹介状を得て中規模病院の診察で、難しい部位であることの説明を受けながら、母は「私の願いは一つです。里親で迎えたスカイの面倒を最後まで見たい、後3年位は今の調子で行きたい」とそれは悲痛と言うよりむしろ無邪気な子供みたいに先生に訴えたのです。なまじネットで知識を得てしまっていた私は、想定した最悪に近いケースであることがわかっていて、号泣しそうになるのを必死に堪えていました。

母の話を受け止めてくれた先生が紹介状を書いてくれたのが、大学病院の肝胆膵外科、外来で担当してくれたのが、教授というのも幸運だったのかもしれません。母は同じように訴え、それなら手術しか選択肢はないと先生が断言し、その日のうちに緊急入院が決定しました。様々な検査の結果、年齢の割に既往症もなく、元気であること、手術に耐えうると先生は判断してくれました。最終確認の際にも、母はいとも簡単にを「悪いところは取っちゃってください」といい、私は母の意思を尊重しますとしかいうことはできなかった。

そしてクリスマスイブ、朝8時に手術室まで母を見送り、術後目覚めた母に会えたのは、夜7時過ぎ。9時間に及ぶ大手術でした。

先代犬のニマを見送ったとき、もうニマが最後の犬だと、自分も十分に生きたから、たとえ病気が見つかっても、その時はその時、と母はよく言っていました。そんな母が、12歳のスカイの里親募集を見た時、家に迎えることをすんなりと決めたことに、私の中にちょっとした驚きの気持ちがあったことは否めない。

もし、スカイがいなかったら、母は同じ選択をしたのだろうか。
スカイがいてくれた意味、そしてスカイを迎える決心をしたときに、すでにこうなると、決まっていたのだろうか。

そんなことずっと考えてる。

これから母がスカイと散歩に行けるようになるまで、まだまだ困難もあるかもしれない。
でもきっと乗り越えられる、スカイがうちにいるから。

スカイありがとう。
そして、みんなありがとう。

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