ひろしまタイムライン その後

 「ひろしまタイムライン」、シュンくんのツイートにおける「朝鮮人!」という言葉をめぐる「炎上」については以前にも書いた(8月21日付)。シュンくんのモデルは新井俊一郎さん(88)で、ツイートは日記を参考にしている。ただし、この「朝鮮人!」というツイートがされたときの日記は空白だった。NHKはそれが手記やインタビューにある、と説明しているが、それならその原文を紹介すべきだし、ツイートする時点で注をつけるべきだった、というのが私の意見である。その後日談が、今日の朝刊に掲載されていたので要約しておく。(記事は、https://digital.asahi.com/articles/ASN956TL5N91PITB01J.html?iref=pc_ss_date)

1. ツイッターに対する新井さんの認識

 新井さんは、ツイートの内容を考える高校生に日記の背景を説明した。しかしNHKからはツイッターの特性についての説明はなく、新井さんは「番組のなあで当時の日記が紹介され、子どもたちが感想を述べあう」と考えていた。翌月、企画を紹介する番組を見て初めて投稿内容を知り、驚く。NHKの担当者に聞くと、「日記を原作として、子どもたちと一緒に創作をしている」と言われ、新井さんは「日記の偽造だ」と激怒する。さらに話し合ったの結果、新井さんは「5年前の軍国少年に日記だと子どもたちに認識させ、子どもたちの言葉で書くなら認める」という条件をつけた。

2. 「炎上」した投稿とオリジナル

 まず6月に投稿された「朝鮮人の奴ら」という表現が批判された。手記には「朝鮮人たちは、平気で言い放っておりました」と書かれる。この表現には余分な主観が入っている。これに対して新井さんは「侮蔑的な思いで眺めたとか、そういう話も一切していません」と語る。

 次に問題になったのが、すでに紹介した、手記をもとに作られたという8月のツイートである。

 この二つに対し、新井さんは、現在進行中の場面であるかのごとく昔の物語を追いかけるのは危険、ととらえ、投稿内容をチェックし、出す出さないの判断するのはNHKの責任のはず、と言う。今回のケースでは、この判断をNHKが間違えた、ということになるだろう。

3. ジャーナリスト津田大介さんのコメント

 津田さんは、もし自分ならどうするか、という観点から、誤解を招く表現があったら、それに対して、当時はこうだったけれど、という注釈をスレッドでつける、と言う。ただ、それ以前の問題として、日記をツイッターにして流していくという企画自体がよかったのか、という疑問を投げかけている。ツイッターは分脈が断ち切られ、意図と違う形で流れていくものだから、必要以上に慎重になるべきだった、と言い、今回は「若者に伝える」「間口を広げる」が先行したのではないか、ととらえる。さらに、新井さんは存命なのだから、丁寧に確認すべきだった、と言述べ、近現代史の専門家とネットと、両方を分かった人とディスカッションすべきだった、と結論づける。

4. 新井さんの一問一答:要約

 「戦勝国となった朝鮮人の群衆が列車に乗り込んでくる」という表現について、こういうツイートをする、という事前確認は全くなかったそうだ。また、この言葉は日記のどこにもなく、手記やインタビューでは、「75年前の私」として似たような表現をしている、とのことである。ただし、「75年前の私」として発した表現を、そのままツイッターに持ち込むべきではなかっただろう。

「朝鮮人の奴ら」という表現は一切していないし、ましてこの言葉をネットに載せることについて、事前の承諾もなかったそうだ。投稿を担当する高校生たちと新井さんとの話し合いは、対面で2、3回、オンラインで2、3回あったものの、一つ一つのツイートについて、チェックすることはない。そんなことをしていたら自分の仕事ができないから、NHKが責任をもってしてくれと頼んだ。ただし、この時の歩み寄りについて、新井さんは「あそこで歩み寄っていなければこんな自体は招いていない」と言う。

 今回の企画は、パソコンやSNSを使いこなせる人には面白いが、使わない老人たちにはわからない、と新井さんは言う。最初から、パソコンを使いこなせない年齢層を除外して番組を作っているという点で、全国あまねく、というNHKの本来の任務からかけ離れており、若者迎合である、とする。

 この「若者迎合」について、新井さんが挙げるのは、行軍して水源地に行き、お弁当を食べた、という日記の記述である。子どもたちは「行軍」を飛ばし、水源地に行ってお弁当を食べておいしかった、で終わる。行軍して一矢乱れぬ歩調を保って歩き、そのあとホッとしてお弁当を食べている。この「肩肘張って頑張った」ところを想像してほしかったが、そこが全く通じなかったと言う。

 つまり、戦争という繊細なテーマをあまりにも軽々しく扱ったということなのだろう。若者に戦争を考えてもらうための試みが、そこに渦巻く当時の感情と、今との隔たりを埋めることなく、浅い手さばきでなされてしまったことが残念だ。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?