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良子さんの本心(と本性)—映画『茜色に焼かれる』を見て その4(ネタバレあり)ー

 映画が「田中良子は芝居が得意だ」で始まること、良子さんがお芝居ではなく本心を吐露し、本性をさらけ出すシーンとして神社のシーンがあり、さらに最後のアングラお芝居にこそ宿る真実もある、ということはすでに書いた。今回は、もう少し細かく、良子さんが本心から語っている場面、本性を見せる場面を抜き出してみる。さらに、良子さんの勝負カラーである赤との関連も考えてみたい。

 この映画には「ナメる人」と「ナメられる人」の対立構造がある。良子さんのことをナメてかかるのは、カリペロの客、陽一のバンド仲間、純平の担任、花屋の主任、熊木くんである。成原弁護士はちょっと特殊な位置にいるので別枠で考えたい。また、良子さんが本心を見せるのは成原弁護士と担任とケイちゃん、本性を露わにするのは熊木くんと花屋の主任に対してである。以下、映画の進行順に一つ一つの場面を挙げていく。

 映画は夫、陽一の事故のシーンから始まり、加害者の葬儀に行った良子は会場から追い出される。後日、弁護士の成原さんが、「見栄えはいいけれど本質をないがしろにしているためにコーヒーが不味い」カフェに良子を呼び出す。ここで良子さんは「皆さんお金で解決しようとなさいましたよね」と言う。この時、良子さんの後ろには真っ赤な絵が掛かっている。物腰は柔らかいが、この言葉は良子さんの本心だろう。

 次に、風俗店カリペロで、ケイちゃんが父親にレイプされて育ったことを明かすシーンがある。ここで店長の言葉を受けて「死にたきゃ死ねばいいじゃんって思います」と言った後に良子さんは笑うのだが、その笑いは途中で止まってしまい、「ウーン」と言った後でまた笑う。この「ウーン」について、朝日新聞の石飛徳樹さんが尾野さんの言葉を記事にしているので紹介しておこう。

「あれはね、一気に笑いきれなかったんです。本心と全然違うことを言ってるから、笑いが途中で止まっちゃう。そのウーンです。楽しくないのに笑っちゃ駄目なんだな、と」

 この言葉を受け、石飛さんは「不自然な仕草や表情は、人間が無理をしている時のSOSのサインだ。彼女はそれを実にさりげなく自然に表現している。石井監督が「化け物級」と評するゆえんである。」と分析している。少し話はそれるが、私が心底尾野さんの恐ろしさを感じたのは「楽しくないのに笑っちゃ駄目なんだな」という言葉である。尾野さんは本当に良子さんの心のままに演じているわけで、これはもはや演技ではない。凄まじい。ここは良子さんの本心ではないが、良子さんはそのウソを隠しきれてはいない。そしてカリペロでの良子さんの服は青だ。

 このシーンの後、ケイちゃんと良子さんは一緒にお店を出て、階段のところで立ち止まる。「さっきなんで笑ったんですか」というケイちゃんに、良子さんは「わかんない」と答え、その後次第に本心を語り出す。このシーンで、良子さんの言葉を聞いたケイちゃんは涙を流すのだが、ここはケイちゃんのみならず、見ていた私まで共感してしまった。その後二人は居酒屋へと流れ、良子さんはどんどん心を溢れさせる。ただし、その時も「これ飲んで落ち着かせるから大丈夫」と心にストッパーをかける。(ごまかすのではなく、他人に対して本心をあまりにあからさまにすることへの躊躇だと感じた)。ここでハッピーバースデーの歌が流れるところがミソで、ろうそくの炎と笑顔の人たちとは対照的に、良子さんとケイちゃんの世界は一瞬闇に包まれる。(このシーンを見た時、私は中島みゆきの『エレーン』にある「今夜雨は冷たい 行くあてもなしにお前がいつまでも灯りの暖かに灯った賑やかな窓を一つずつのぞいてる」という歌詞を思い出してしまった。)

 次に、良子さんが担任の先生と対峙するシーンがある。これはまさに「対峙」で、いじめについてヘラヘラと「私どもは確認しておりません」という担任に対し、良子さんは「無責任な人に限って愚かな薄ら笑いを浮かべる」と言い放つ。良子さんがちょっと刀を抜いた瞬間、いわば本性をのぞかせた瞬間で、この担任はたちまち真顔になる。予告にあった「戦うことが母の愛」の片鱗が見えるシーンだ。この時の良子さんはグリーンのカーディガンを羽織っている。

 この後良子さんは神社でかつての同級生と出会い、さらに純平くんの成績が抜群であることを知らされる。映画の中で良子さんのハッピー度をグラフにするなら、ここが多分頂点だろう。純平くんが「トップのトップを目指している」と言っていた、と告げられた時、良子さんは陽一の口ぐせが純平くんに伝わっていたことを知って嬉しかったはずだ。担任との面談の夜に良子さんが純平くんに言う「お金のことはいいから、行けるところまで行きなさい」は肝の座った母の言葉としてとても重い。良子さんなら、純平くんが留学したいと言ったとしても何とかするのではないだろうか。そしてこういう母の本気は、きっと純平くんにも伝わっているはずだ。ちなみにこのシーンでの良子さんのTシャツは青である。

 次に熊木とのシーンがくる。熊木との最初のデートは真っ赤なカーディガンで、これは純平に怪しまれる。二度目のデートでは白いブラウスに赤を基調としたスカートである。ベッドで一世一代の大告白をする時、後ろでネオンが赤や緑に変わるのだが(この時の下着は赤で、とても高価そうだ)、このシーンの良子さんの言葉は全て本心であろう。風俗業を恥じていないのも、熊木くんが好きだということも。その思いをヘラヘラと流されて良子さんは深く深く傷つき、居酒屋で泣く。さらにケイちゃんの告白を聞いて、ケイちゃんのためにも泣く。そして帰ってみれば家が焼かれている。

 良子さんが「ものすごい本性」と陽一のバンド仲間に言われるその「本性」を出すのはこのあとである。真っ赤なワンピースに身を包み、包丁をカバンに入れ、そして神社のトイレで勝負をかけるかのように真っ赤な口紅をつける。ここの「おい!」と包丁を持ってためらいなく追いかけるシーンは、まさに良子さんの本性だ。ここの良子さんはたまらなく美しい。(ちょっと話はそれるが、クズの上級生たちに純平くんが立ち向かって行くときも「おい!」と言って傘を叩きつける。実はこの母子は似ているのかもしれない。そして純平くんが服装を決めるとき、メガネを外して髪をオールバックになで付ける。その髪型は陽一の歌っているときのもので、純平くんは意識的に父の後を追っている。)

 その後、ケイちゃんの奢りの牛丼を3人は団地の部屋で食べる。ここで牛丼を食べているのは、実は家に包丁がなかったからではないかと私は睨んでいるのだが、とても平和なシーンの最後にケイちゃんの死が告げられる。

 お葬式に行く前に良子さんは花屋に寄る。ルールですからと理不尽なことを言い、エラソーに良子さんをクビにした花屋の主任に対して、良子さんは白いシャツを着て、紙のように白い顔で「花をください」と告げる。このシーンは全体的に白が基調となっている。この時も良子さんの本性は遺憾なく発揮される。包丁こそ持っていないけれど、ナイフを突きつけるような良子さんはひたすらカッコいい。

 次に来るのがあの茜色のシーンで、純平くんも良子さんも負けそうになりながら、でもまだ夜にならない茜色の空をずっとずっと自転車で揺られていく。ここで終わったら映画は「切なくも美しい」のだが、でも二人の人生はまだまだ続く。良子さんの一世一代のお芝居のシーンがこの後に来る。

 お芝居に関して、良子さんは熊木とのデートに向かう直前に意味深長なことを言っている。陽一が新興宗教にハマった、という話をしたあと、「神様を探すというのは自分の心が露わになることだから」と言い、その時にお芝居のタイトルを決める。つまり神様というタイトルのお芝居をすることは、良子さんにとっても心を露わにすることなのだろう。ではここで明かされる良子さんの本心とは何か。

 女豹というキテレツな衣装を着た良子さんは、小さくて可愛いガゼルのぬいぐるみに向かって「結ばれるべきではなかった!」と叫ぶ。所詮陽一は可愛らしいガゼルに過ぎず、女豹には敵わない。そして良子さんは、新興宗教にはまり、他所に愛人を持っていたガゼルに恨みつらみをぶつける。これまで「好きになっちゃったんだから」と封印していた負の感情を全てぶつけるのだが、それが「私は女豹だ!メスの豹だ!」という当たり前のセリフや、「シャー」という大真面目な威嚇により、不思議なおかしみを伴う。さらに良子さんは赤ん坊の豹のぬいぐるみに「愛してる!」「愛してる!」「生き甲斐だよ!」と叫ぶ。結局良子さんの心はここに尽きるのだろう。以前も書いたが、これは純平くんの「母ちゃん、大好きだ」への返答になっている。

 ただ、ここで見せられるのが良子さんの本性だとしたら、そこには何か救いがあるような気がする。究極の状況においてもそのお芝居には大真面目ゆえの笑いがあるからだ。とことんシリアスにはなりきれない、どこか訳のわからない「不条理劇」のような、そんな不思議さがこの劇にはある。そしてこのおかしみがある限り、良子さんと純平くんは決して漆黒の闇に堕ちていくことはないような気がするのだ。



 



 

 

 


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