いわゆる「推し」について(2)

 『Mother』で、どんな心情でもきちんと見せてくれる不思議な女優さんに心を惹かれたあとも日々は平和に流れ、翌年2011年3月のある日、Yahoo!ニュースに「朝ドラヒロインに尾野真千子」という文字を見つけて、私は「うおー、あの人や!」と密かに気持ちを盛り上げていた。これであの女優さんも一躍有名になるんじゃないか、などと思いながら、4月から始まる『名前をなくした女神』というドラマに、その人が出ると知って見ようと決めた。ママ友の厄介なしがらみを描くドラマ、ということだけれど、厄介なしがらみなんてあの人からしたらお茶の子さいさいではないか、と思いつつ、そう言えば『Mother』も4月からだったわ、と回想しながら、木曜夜10時は家族が寝静まった後でテレビを見る曜日となった。

 『Mother』と違ってお金にはあまり困っていない奥様風の出で立ち、出番も格段に増え、それだけにこの人のお芝居をじっくりと見られる!と最初からかなり気合いが入っていた。いきなりワケありの暗い設定、でもそんなこと、北海道からコンビニ店員の服装で現れた時の怖さとあの鬼太郎のような濡れ髪の眼差しに比べればなんでもない。どんな暗い役でも、やっぱりこの人うまい、と思いながら、一番闇の深そうな安野家の人々を見守り続けた。あまりの暗さに妹が「あの家が一番きらいやわー。あの人朝ドラヒロイン大丈夫なんかな」と言ってきたが、そこで「尾野真千子はうまいよ」と宣言した自分を私は褒めたい。この時も、どんなに追いつめられようが、きっちり追いつめられた様子をそのまま見せてくれるこの人に、私は強い信頼感を抱いた。(思えばもうこの頃から沼に足を半分突っ込んでいたようなものである。)そして、その信頼感が揺るぎないものになったのが、主人公の息子、健太くんが遠足の途中でいなくなったエピソードにおいてである。健太くんは女の人に手を引かれて歩いていくのだが、その人の顔はずっと映されないままだった。やがて物語のクライマックスで、その何者かの顔をついにカメラがとらえる!というその時に映し出された顔に私は引き込まれた。これまでの暗いちひろさんとはまた全然違う、本当に恐ろしい女の顔が現れていたからである。それは『Mother』での「うまい人認定」が「スーパーうまい人認定」に変わった瞬間であった。このあと、この人はどんどん壊れていったが、私は密かに「いいぞいいぞ」と思っていた。もっと壊れて夫の頭をかち割ってやれ!くらいの気持ちだったし、鬱屈したちひろさんは憂いを帯びていて不幸が染みついた感じがとても魅力的だった。とは言っても明けない夜はないもので、少しずつちひろさんと冷血夫の間に心の交流も生まれ、闇も薄らいできた。もちろんそれはそれでめでたい。よかったよかった、と若妻の回復を見守る近所のおばちゃんのようになりながらも、私には一つの懸案事項があった。それは、健太くんにどう落とし前をつけるのか、ということである。再びちひろさんが爽くんを幼稚園に連れて行くようになった日、そのシーンはやってきた。ちひろさんは、もちろんきちんと謝った。その謝り方はとても誠実で人間らしく、ちゃんと子どもの目線に沿った心からのお詫びに見えた。その場面を見たとき、私は「この人はどんなシーンにでもちゃんと説得力を持たせてくれる」と思った。揺るぎない信頼感に、さらに鉄の棒が一本通った瞬間である。ドラマは7月に終わり、あとは朝ドラ『カーネーション』をこのうまい人がどんな風に見せてくれるのか、それを楽しみにするだけとなった。あとから確かめれば、この合間にもこの人は多くのドラマに出演していたのだが、そのあたりは完全にノーチェックだったし、また『カーネーション』の記者会見も、宣伝のための『生活笑百科』への出演も、全く押さえていなかった。私の興味はまだ、「どんなドラマかなあ」とか「どんな役かなあ」というレベルにとどまっていたのである。


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