民主主義の教科書

 今日の朝刊に、「民主主義、大丈夫?」というタイトルで、あらゆる報道や情報を見比べることから1日が始まるという87歳の女性が取り上げられていた。娘や孫の住む外国の状況についても新聞を読み、ネット情報を確認し、現地の状況を聞くこともあるそうだ。ポイントは、「科学的な根拠は?」、「扇動的な要素はないか?」ということで、よい判断をできるような訓練を心がけているとのことである。

 この人たちは、1948年に文部省が発行した「民主主義」という教科書で勉強した人たちである。そこでは次のようなことが説かれていた。

選挙でガラス玉の中からほんものの宝石を選び出す
国家の名誉だのとよそ行きの着物で飾る独裁者を見破る
みだれとぶ情報から真実を見つけ出す習慣をつける

教科書の全編を貫くのは、「一人一人が賢明になるように」という理念だった。

 しかしこの教科書は53年までしか使われなかった。米ソの冷戦が進む中で、日本は西側の陣営に組み込まれ、教育は政治に中立であることを求めるようになったそうだ。

 この記事は、私にはとても重要なものに思えた。以前、憲法学者の志田陽子さんが、「精神の自由」とは、一人一人が成熟していることを前提とする、というような記事を書いていて(記憶による引用なので言葉は不正確かもしれない)、強く共感したこと、さらに、芸能人が政治的発言をしてバッシングされたときも、日本とドイツを比較して、日本では「中立」を重んじるために政治の話をしない、という記事を読み、「中立」という曖昧さに怖さを覚えたことがあったからだ。もともと、「一人一人が成熟すること」をこの国は求めていたにも拘らず、それがわずか5年しか続かなかった。それは何とももったいないことだったし、「ガラス玉の中から宝石を選び出す目」を持つことはまさに今の世では大切だと思う。

※記事のリンクはこちら。(有料記事)https://digital.asahi.com/articles/ASN8B6F5JN83UTIL03G.html?iref=pc_ss_date



 



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