東海大学野球部

 東海大学野球部で、複数の部員が大麻を吸引していたそうだ。野球部は無期限活動停止らしい。しかし、私はこの措置に疑問がある。

 かつて、部活動は連帯責任だった。野球部員でなくても、その学校の生徒が万引きや暴力沙汰や、とにかく不祥事を起こすと、野球部が出場を辞退するのが慣例だった。それが次第に「部内での不祥事の際は〜」に変わってきて、それはよかったと思う。けれど、もうそろそろ「部全体の責任」とするのもやめてはどうかと思うのだ。

 大麻を吸ったのは個人である。だから、吸った人間だけを活動停止にすればよいのではないか。例えばロッテが、選手の新型コロナウィルス感染により、戦力に不足が出ながらも選手を補って戦っているように。

 話は変わるが、息子はギターマンドリン部である。明日、市のイベントがあるらしい(練習期間が試験と重なっていたので、息子は参加しない)。その際、顧問が「もし移動の際に誰かが迷子になったら、パートリーダーの責任」と言ったそうだ。めちゃくちゃである。2歳児じゃあるまいし、迷子になるのは自分の責任だろう。こういうことをした場合、次のような弊害が考えられる。

1)わざと迷子になることで、パートリーダーを陥れることが可能。まさかあののんびりしたギターマンドリン部では起こらないだろうが、腐った組織ならこれはあり得る。
2)リーダーになることがそのまま無意味なリスクを負うことになってしまうので、誰もリーダーになろうとしなくなる。

 人にはリーダー向きとそうでないタイプがいるので、みんながみんなリーダーになれ!などとは私は思わないが、それでも何かに責任を持つということは時には大切だ。この場合、同じパートの人どうし、弾けないところを教えてフォローするとかその手のことであって、迷子にならないかどうかドギマギすることではない。

 それにしても、なぜ日本人はこんなに「連帯責任」が好きなのだろう。昔一揆を起こしたら村全体の責任、とかいうのがあったなあ、と思い出すが、そういうのがおかしいと思えば廃止すればいいわけで、それが今でも残っているということはやっぱり残したい誰かがいるということだ。はた迷惑な話である。

 昔、班長というものをさせられて、やんちゃな男の子が騒ぐとなぜか私が叱られた。その度に「騒ぐ子を叱れよ」と思っていた。あれは教師の怠慢だ、と今でも思う。人のせいにすることで、自分は手を抜くのだ。

 というわけで、今回の事件では、悪いのは吸った人間、それ以外の人間は、東海大野球部の未来のために切磋琢磨する、でいいのではなかろうか。







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