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映画『茜色に焼かれる』 尾野真千子さん舞台挨拶(2021年6月10日於TOHOシネマズ梅田)

尾野さんは切り替えの凝った白いシャツに細身の黒パンツ、ハイヒール。

尾野:どうでしたー?とんでもない女豹が出てきたでしょう。恥ずかしい。少しですけど時間の許す限りお話しさせていただきます。
—公開を迎えたことについて
尾野:もう、嬉しいですよねえ。もしかしたらできなかったかもしれない。公開できるかが不安だった。映画はやっぱり映画館で見てもらって一人前のものだから、配信とか言われたらどうしよう、と思いました。
マスクとろうかね。
みなさん目をつぶってー。(と言って「取ってもいいよーっていう人」「しといた方がええんちゃうっていう人」と手を上げさせる。)取りまーす。ありがたいね。
今日あの、私一人なんですよ。もしよかったら写真も撮ってください。(みんな激写。)そっちに夢中にならないでねー。

—最後の「私の生きる意義を試すのか」が出演の決め手と伺いましたが、演出などの指示は。
尾野:最後の女豹のシーンは、こうしてくださいというのはない。女豹の格好はします、とは言われていました。美術さんがあれだけのセットを作ってくださって、でも演出的には「女豹です」、それだけ。
—辛いシーンも多かったので、最後のシーンで救われた気がします。続いて神社のシーンについて。
尾野:純平くんの飛び蹴りねー。
—「おい」に凍りついてしまった、と和田さんがおっしゃっていました。階段で滑ってしまった、何テイクか撮ったとお聞きしましたが。
尾野:あれは一発目。飛び蹴り、殴る、というのを一連の動きで撮る、というので、みんなアドレナリンが出まくり。滑ったけど、カットがかからないしそのまま続けました。おパンティが見えていたのがちょっと…。まあ見えてもいいのを穿いていたんですけど。
—永瀬さんの嬉しそうな顔が印象的でした。
尾野:あれ本心でしょうね。今回は距離が遠いのに、こんなに人が近いと思えた、みんなと一つになれた現場でした。たまにしか出ないキャストの人も来てくれて。
—尾野さんが素晴らしいのはもちろん、他の人も必死の撮影でした。和田さんや片山さん、共演者の方たちとはいかがでしたか。
尾野:共演者ねえ。オダギリジョーとは残念でした。でもすれ違いで少し会えて、「大変だねー」って。家の撮影の時は、飾られている写真を、本当に死んでいるかのように手を合わせて会いに行っていました。純平くんは、お芝居の経験がそんなにないんです。カナダに留学に行ってたんですって。あの子はねえ、最初は恥ずかしがり。だんだん打ち解けて来たら、明日泣かなきゃいけない、とか、あまり喋らないけど大事なことをぽろっと言ったりする。息子がいたらこんな感じなんかなあと。
ケイちゃんは悩んでましたね。どう演じたらいいのか、重要な役なので悩んでた。そこを突き詰めると煮詰まりそうだと感じたので、現場では私はアホな話ばかりをしていました。一瞬考えることをやめさせようと思って。すぐ忘れるようなアホなことを聞いたり。あとの男の共演者はキライだったんで(真顔)、あ、役が、ですよ、お近づきにはなっていない。

みなさんからの質問:
1)ナメられたと感じたとき、良子さんのように立ち向かいますか。
尾野:立ち向かいたいのが本音です。でも色々書かれるから、そうもできない。でもお芝居をしていて、この人絶対作品のこと、現場のことをわかってへん、と思ったら、ちょっと立ち向かう。あとは信頼してる人を馬鹿にされたらガチで切れる。
—みなさんのイメージ通りではないでしょうか。
尾野:そんな、おしとやかなイメージでしょ。
2)釣りたい魚、好きな魚の調理法は何ですか。
尾野:私、釣りが趣味になりまして、いま釣りたいのは、北海道で小さい穴開けて、あれなんやったっけ?
(客席から)ワカサギ。
尾野:釣り仲間がそこにいるんです。(推測:事務所の社長さん(=とっくん)のこと?)調理法はなんでも好き。
3)「芝居の中にこそ真実がある」に共感しましたか。
尾野:なんでしょうね。共感はしてます。良子さんとは違う意味ですけど。自分の生の声で発せられること、伝えられることってすごく少ない。今の立場だと、言った言葉が思ってもいない言葉で伝わってしまったりする。それを思ったときに、私たちにはセリフというものがあって。自分の気持ちにあったセリフがあると、「これが本当の気持ちじゃ!」と思う。
—セリフへのアレンジはなさいますか。
尾野:アドリブということかな?アドリブは、なるべくなら入れたくない。ときに監督が待っている時があるんです。まだ何かある、この人って。その時は言う時があります。でもアドリブの時は、役の人ではなくて尾野真千子が出てきてしまうから、あんまり言いたくない。今回はアドリブはほとんどありません。一回してみたけどカットされました。練習の時に一度したけど、入らなかった。
—それはどのシーンですか。
尾野:高架下のシーンで、(監督が)待ってらしたからやってみたけどダメだった。その時はまだ撮影が最初の頃で、シーンの本質をつかめていなかったから、良子の言葉になってなかった。
—ぶりっ子シーンはララランドのようでしたが、監督がやりすぎ、と言ったら尾野さんがこれでいいとおっしゃったそうですが。
尾野:中学生の息子がいるのにぶりっ子しているイタい母親を伝えたかった。あと、私はまだ女なんや、と必死になっている方が共感できると思った。実際には、映っているのより2倍ぐらいぶりっ子していた。
—女性の複雑さを表現できていた気がします。
尾野:母ってすごい生き物だと思った。母、女性って、一つの言葉では片付けられなかった。複雑すぎて、どうやって伝えたらいいかすごく悩んだ。いろんな見本がいるけどみんな違うから、自分の中で「これが母」というのが見つけられなかった。ずっと悩み続けているものと思った。
—タイトルも最初は『茜色の母の戦い』でしたね。
尾野:戦ってるもんね。
4)茜色の思い出ってありますか。
尾野:あんな素晴らしい思い出ってないよ。今回の茜色は結構CGなんです。皆さん茜色の思い出ってありますか?ある人ー(と客席に聞く)。ないやんか。
5)大阪で好きな場所は?
大阪は、思い出深い、でしかないところ。『カーネーション』で1年間くらいお世話になった。差し入れのイカ焼きが美味しくて、休みの日に食べるたこ焼き、一人焼肉をした焼肉屋、あの時期はほとんど一人だったんですよ。でもみんなでカラオケもしたし、梅田で買い物もした。好きな場所、いっぱいありますよー。大阪に来たらあそこに行く、っていう場所があって、吉本の横にあるたこ焼き屋さん。食べるだけ食べて帰る。吉本見ずに。

—そろそろ時間になってしまいました。コロナ禍を描いた作品で、この時期に映画の中と見た人が同じ体験をしていますが、見た人に一言。
尾野:本当に、見ていただけて本当に嬉しく思っています。本当にありがとうございました。まだまだどうなるかわからない世の中、この映画を、まだまだ伝えていきたいと思っています。映画の中で感じた、まだまだこれから生きる、という感じ、苦しさは続くけど、まだまだ幸せはあるんだ、と思いながら撮りました。パンフレットが、今までにあったものよりも、普通なら声を聞かないような現場でのスタッフの気持ちもわかるものになっています。
(深々とお辞儀して、まっすぐ背筋を伸ばして退場。)

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