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糸子の自己肯定感について

 HSPの特性をあれこれ見ていく中に、「自信がない」「いつも不安を覚えている」というのがあり、いたく納得している。ただ、自信がないことと卑屈、というのはまた別物であり、同様に自信満々と傲慢も、似て非なるものであるような気がする。このことについて、我が心のヒロイン、糸子をモデルに考えてみたい。『カーネーション』の再放送時、Twitterを見ていたら「糸子は傲慢だ」という意見があって、どうにも腑に落ちなかった。傲慢というのは、自分に胡座をかいて進化をやめた人のことだろう、と思うからだ。

 糸子はだんじりなので、前にしか走れない。思い込んだら猪突猛進である。ただし、ただやみくもに進むのではなくて、ちゃんと頭を使う。このことは早くも第二話にして明確に示されており、吉田屋に集金に行くよう命じられた糸子は、善作に「ここを使うて行け」と頭を指され、「うちは手ぶらで帰ったことがありません」と言う。そして第三話で見事集金に成功た糸子は、善作に「お前くらいの頭と根性があったら」と言われる。このあたり、糸子は朝ドラでしばしばあるような「ドジっ子ヒロイン」ではない。そしてその後も糸子は「頭と根性」で仕事を覚え、宿敵山口さんよりも早くミシンに触ることを許される。

 糸子の強さにドキドキさせられるのは、勘助とのやりとりにおいてだ。仕事を辞めたいという勘助に糸子は「うちかて色々あったで」と喝を入れ、「そこまで嫌なんやったらやめさせっちゃった方がええんちゃうやろか」と言うおばちゃんの言葉を甘やかしととらえて即座に打ち消す。世の中には自分でどうにかできない人もいる、ということを糸子は今ひとつ理解できない、ということがさりげなく忍ばされ、のちに、あの伝説の「あんたの強さは毒や」につながっていく。

 しかし、糸子を見ていて救われるのは、ちゃんと物事を受け止め、人のいうことを聞くということである。勘助に対しては自分でも「やってしまった」と思い、安岡のおばちゃんの言葉も受け止めるし、サックドレスの時は、「カッコいいと思う」と言ってのける聡子の言葉を聞いて「もしかしたらそうなのかも」と目を泳がせるし、サックドレスが流行っている、という優子の手紙を読んで、流行を読み間違えたかもしれん、と本気で心配する。さらに、優子と直子のデザイン画を見て、自分もデザインを勉強し直そうと決意する。いつスイッチが入るかわからない聡子の前に山を用意して、いつの間にか自分が登り始めるあたりがいかにも糸子なのだが、このあたり、いつまでも前に行こうとする糸子の姿は爽快だった。だから、私にとって糸子は傲慢な人ではない。むしろ自己肯定感が高い人なのかもしれない。

 糸子は何かしたいと思った時に、その思いに対して疑いをさしはさむことがない。人目を気にすることもない。自己肯定感というのは単に「自分はすごい」というものではなく、自分が自分であることにOKを出せることだと私は思っている。だからこそ自分の考えたことを実現させようと思った時に、ためらいなく前に行けるのであり、そこが糸子の魅力だ。決してガラの悪い傲慢なヒロインなどではない。






 

 


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