大谷クリニック院長のこと

 今朝のNHKで、大谷クリニック院長がネットで受けた嫌がらせについて述べていた。テレビ朝日の情報番組でPCR検査を訴えていたところ、それが政権批判ととらえられてクリニックにまで抗議が殺到したらしいのだ。詳細は省くが、要約すれば、大谷院長の言葉を、反政権の人たちが拡散し、その際に自分なりのコメントをつけた→そのコメントまでもが院長のメッセージととらえられた→政権批判だとして厳しく非難された、ということらしい。まったく大変なことだ。

 ここで大切なのは、1)人の言葉を引用する時は、正確に内容を要約して引用する、2)コメントをつけ加える時は、どこからどこまでが自分のコメントなのかをはっきりさせる、3)読み手は相手の言っていることをきちんと咀嚼する、4)その上で、根拠のある批判なり意見なりを言う、ということになるだろう。こういうプロセスを踏まず、ネットが誹謗中傷の渦になるとどうなるか、というと、SNS上の匿名の書き手を特定しやすくする、という制度の改正が生まれる。人の悪口を垂れ流すような人は罰せられるべき、と思う向きもあろうが、実はそんなにたやすい問題でもない。7月1日付の朝刊で、憲法学者の志田陽子氏は次のように述べる。

 誰も傷つくことのない社会を作ろうとしたら、表現の自由を手放さざるを得なくなる。また、集団が間違った方向に向かっていた時、批判する人がいなければ軌道修正が効かなくなる。大切なのは、表現の自由を守りつつ、誰かが傷つくことへの手当てもする、ということだ。そしてこの「手当て」は、裁判などの「事後的な」救済方法を原則とすべきであり、先回りする形で言論を規制する方法が目指されるのではない(今の問題は、この「裁判などの事後的な救済方法」にたどり着くまでが難しい、ということにある)。なぜなら、市民が特定の権力者を批判した時に、批判された側が発信者の個人情報を簡単に手にすることができれば、権力者によるブラックリスト作りに利用されるかもしれないからだ。したがって、誹謗中傷の対策のために情報開示するハードルを下げるとしても、それは私人どうしの間の事例に限るべきであり、大切なのは公人と私人の区別をつけることである。

 木村花さんの自死で誹謗中傷についての論争が起こった時、「木村さんに関して誹謗中傷はよくない、と言う人が、首相に関しては暴言を吐いている」というようなツイートを見かけて驚いたのだが、つまりはこういう意見は公人と私人をごっちゃにしている、ということができる。志田さんは、政治家が「誹謗中傷による被害を防ごう」という言葉を、公人と私人の区別をつけないままに語った時には注意が必要だ、と言う。治安維持法の再来、ともなりかねない、ということだろう。

 つまり何が言いたいかというと、精神的に成熟していない批判ばかりしていると、どんどん締めつけが厳しくなる、ということだ。「憲法上の精神の自由は、受け手もそれぞれ自分で判断できる、ということを前提にしている」という志田さんの言葉を思い出しておきたい。




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